阪神野村が消えるのは、消え方において切ない。「事件」を野村克也の側から見れば、実に切ない。




2001ソスN12ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 06122001

 息白き子のひらめかす叡智かな

                           阿波野青畝

語は「息白し」で冬。我が子ではなく、よその家の子だと思う。寒い朝。出かける道すがら、たまたま近所の知っている子に出会って連れ立って歩いている。子供とは世間話はできないから、学校や勉強のことなどを軽い気持ちで聞いてみたのかもしれない。話題がなんであれ、話しているうちに、作者は質問に一所懸命に答える子供の「叡智(えいち)」に気づかされた。単に才気煥発とか小利口というのではなく、日頃から真剣に物事を考えているところからしか出てこない話ぶり。それが子供の白い息に添ってひらめきながら、作者の胸を強く深く打ってきたのである。当の子供にしてみれば、当たり前の話をしただけなのだろう。が、作者には「これぞ本物の叡智」という感慨が生まれてしまった。この子のように、俺は物事を正面から引き受けて物を考えたことがあったろうか、と。凄いヤツだなあと、顔には出さねど舌を巻いている。「叡智」とは知識ではない。だから、ちっぽけな子供にだって「叡智」はそなわる。知識の徒が逆立ちしたってつかめない考えを、自力でつかんでいる子供もいる。そんな子供に自然に畏敬の念を覚えた作者もまた「叡智」の人なのだと、私は感動した。寒い朝でも、この交流はとても暖かい。『合本俳句歳時記』(1973・角川書店)所載。(清水哲男)


December 05122001

 何に此師走の市にゆくからす

                           松尾芭蕉

の週末あたりは、歳暮のための客で街はにぎわうことだろう。不景気とはいうものの、浮世の義理を欠くこともままならぬ。迎えるデパートなどはよく心得たもので、それなりの品ぞろえで待ち受けている。たとえ手元不如意でも、出かけていけば人のにぎわいがあるので、それはそれで楽しくもなる。掲句は元禄二年(1689年)、芭蕉四十六歳のときの近江は膳所での句だ。にぎやかな「市(いち)」に出かけていく人の心は、昔も今も変わらない。市に向かう芭蕉の心も浮き立っている。「何に此(なんにこの)」とは、関西弁の「ナンヤ、コノオ」と言うところか。地べたをせっせと歩いている芭蕉からすれば、すうっと市を目指して一直線に飛んでいける「からす」がうらやましいのだ。もとより、烏が市に行くわけもない。でも、早くにぎやかな市に辿り着きたい作者には、そんなふうに見えてしまう。まさに「ナンヤ、コノオ」なのである。で、この句が面白いのは、歩いているうちに「ナンヤ、コノオ」の対象が、何度も読むと、空飛ぶ「からす」から切り替わって自分自身に向けられていく感じがしてくるところだ。「からす」に文句を言っていたつもりが、自分のどうにも押さえきれない「にぎやか好き」に向けられてしまった。でも、それが楽しいのだから仕方ないのさ。と、句の後ろで作者は居直ろうとしながらも、かなり照れている。掲句を音読するときには、どうか関西訛りで発音してみてください。この句に限らず、芭蕉句はすべてそのように……(清水哲男)


December 04122001

 狸罠仕掛けて忘れ逝きにけり

                           和湖長六

語は「狸罠(たぬきわな)」で冬。作物を荒らすので、農家にとっては天敵の狸ども。こいつをひっとらえるための道具が「狸罠」で、狸が通る道は決まっていることから、その習性を利用して仕掛けておく。仕掛けたからには見回って歩くわけだが、掲句の主人公は仕掛けたことすら忘れてしまい、そのうちにぽっくりと逝ってしまった。句が実話か想像の産物かは問題ではなく、人の死のあっけなさを詠んで秀逸だ。いつか私が死ぬときも、まさか実際に罠を仕掛けることはないけれど、一つくらいは何かを仕掛けておきながら、すっかり失念したままに逝ってしまうのだろうと思わせられた。このときに失念が、死にゆく者のせめてもの幸福となる。失念が無かったら、死んでも死に切れないだろう。一種滑稽な味わいのなかで、作者はちゃんと死者を救っている。私の田舎では、狸よりも猪による被害のほうが甚大だった。猪には罠では間に合わないので、この季節になると大人たちは犬を連れて山に入り、猟銃で射殺した。いまでは猿の跋扈に悩まされていると聞くが、どんな対策を講じているのか。しかし、いくら害をもたらすといっても、やはり生命あるものを手にかけるのは辛いものがある。鶴丸白路に「逃げてゐてくれし狸や狸罠」がある。本音である。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)




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