悔しまぎれの草矢よく飛ぶ敗北なり(原子公平)。ここに載せた最初の句。掲示板を終了しました。




2001ソスN12ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 05122001

 何に此師走の市にゆくからす

                           松尾芭蕉

の週末あたりは、歳暮のための客で街はにぎわうことだろう。不景気とはいうものの、浮世の義理を欠くこともままならぬ。迎えるデパートなどはよく心得たもので、それなりの品ぞろえで待ち受けている。たとえ手元不如意でも、出かけていけば人のにぎわいがあるので、それはそれで楽しくもなる。掲句は元禄二年(1689年)、芭蕉四十六歳のときの近江は膳所での句だ。にぎやかな「市(いち)」に出かけていく人の心は、昔も今も変わらない。市に向かう芭蕉の心も浮き立っている。「何に此(なんにこの)」とは、関西弁の「ナンヤ、コノオ」と言うところか。地べたをせっせと歩いている芭蕉からすれば、すうっと市を目指して一直線に飛んでいける「からす」がうらやましいのだ。もとより、烏が市に行くわけもない。でも、早くにぎやかな市に辿り着きたい作者には、そんなふうに見えてしまう。まさに「ナンヤ、コノオ」なのである。で、この句が面白いのは、歩いているうちに「ナンヤ、コノオ」の対象が、何度も読むと、空飛ぶ「からす」から切り替わって自分自身に向けられていく感じがしてくるところだ。「からす」に文句を言っていたつもりが、自分のどうにも押さえきれない「にぎやか好き」に向けられてしまった。でも、それが楽しいのだから仕方ないのさ。と、句の後ろで作者は居直ろうとしながらも、かなり照れている。掲句を音読するときには、どうか関西訛りで発音してみてください。この句に限らず、芭蕉句はすべてそのように……(清水哲男)


December 04122001

 狸罠仕掛けて忘れ逝きにけり

                           和湖長六

語は「狸罠(たぬきわな)」で冬。作物を荒らすので、農家にとっては天敵の狸ども。こいつをひっとらえるための道具が「狸罠」で、狸が通る道は決まっていることから、その習性を利用して仕掛けておく。仕掛けたからには見回って歩くわけだが、掲句の主人公は仕掛けたことすら忘れてしまい、そのうちにぽっくりと逝ってしまった。句が実話か想像の産物かは問題ではなく、人の死のあっけなさを詠んで秀逸だ。いつか私が死ぬときも、まさか実際に罠を仕掛けることはないけれど、一つくらいは何かを仕掛けておきながら、すっかり失念したままに逝ってしまうのだろうと思わせられた。このときに失念が、死にゆく者のせめてもの幸福となる。失念が無かったら、死んでも死に切れないだろう。一種滑稽な味わいのなかで、作者はちゃんと死者を救っている。私の田舎では、狸よりも猪による被害のほうが甚大だった。猪には罠では間に合わないので、この季節になると大人たちは犬を連れて山に入り、猟銃で射殺した。いまでは猿の跋扈に悩まされていると聞くが、どんな対策を講じているのか。しかし、いくら害をもたらすといっても、やはり生命あるものを手にかけるのは辛いものがある。鶴丸白路に「逃げてゐてくれし狸や狸罠」がある。本音である。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)


December 03122001

 本漁ればいつも青春肩さむし

                           古沢太穂

者、六十代の句。と、いま調べて書いて、私もその年代なのだと思い知る。六十年余も生きてくると、いろいろな場面で年齢を感じることが増えてくるが、なるほど、私も本屋にいるときは年齢のことなどすっかり忘れてしまっている。青春時代と同じように、そのころに習得した自分なりのやり方で本を漁(あさ)る自分がいる。たいていの町の本屋は、寒い日でも店を開け放っているもので、感じる肩の寒さも若き日と同じようだ。肩をすぼめながらも、棚を眺める好奇心の熱は冷めないのである。なぜか「青春は美し」という、それこそ本の題名で知った言葉を思い出した。いまはもう誰も読まないヘルマン・ヘッセだ。句とは離れるが、私は本屋のない田舎で育った。中学二年で大阪は茨木市に引っ越したときに、はじめて本屋というところに入ることができた。忘れもしない、虎谷書店。健在だろうか。嬉しくて、日参しましたね。高校時代には、立川のオリオン書房、福生の田村書房と岩田屋。大学のときは、京都の三月書房、ナカニシヤ。まだ木造だったころの新宿の紀伊国屋書店。棚の本の配列をそらんじるほどに通いつめ、といっても金がないのでそんなに買えるわけもなく、もっぱら立ち読み専門の青春でした。なかで店のご主人と親しくなったのは、岩田屋と三月書房。岩田屋の奥さんは、たまに立ち寄らない日があると、必ず「何かあったの」と心配してくれたっけ。だから、岩田屋でどうしても立ち読みできなかった雑誌の一つに「奇譚クラブ」がある。『火雲』(1982)所収。(清水哲男)




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