乾燥注意報が出っ放し。静電気にピリピリッとやられる季節の到来だ。ちっとも感じない人もいる。




2001ソスN11ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 22112001

 短日や盗化粧のタイピスト

                           日野草城

語は「短日」で冬。もう七十年も前の昭和初期の職場風景だ。このころの草城は、大阪海上火災保険に勤めていた。当時のタイピストは専門職として貴重であり、いわばキャリアウーマンの先駆け的存在だった。しかし、なにしろ昔は男社会だ。オフィスで働く女性も少なく、しかも男どもに互して働いたのだから、しっかりした気丈な女性像が浮かんでくる。あまり化粧っ気もなく、服装も地味だったろう。そんな女性が、仕事の合間に素早く「盗化粧(ぬすみげしょう)」をするのを、作者は偶然に見てしまった。つまり、タイピストに「女」を見てしまった。日暮れも近く、退社時間ももうすぐだ。会社が退けたら、誰かに会いに行くのだろうか。一瞬そんな詮索心もわきかけたが、ちょっと首をふって、作者も自分の仕事に戻った……。文字通りの事務的な雰囲気のなかで、瞬間「人間の生々しさ」が明滅したシーンを定着させたところに、作者の手柄がある。余計なことながら、国内の保険会社という仕事柄、女性が操作していたのは和文タイプではなかったろうか。となると、当時の最先端を行く事務機器だ。和文タイプの発明は大正期のことであり、それまでは銀行などでも、帳簿への記入はすべて筆書きだった。小林一三が、回想録に書いていたのを読んだことがある。室生幸太郎編『日野草城句集』(2001)所収。(清水哲男)


November 21112001

 まなうらは火の海となる日向ぼこ

                           阿部みどり女

語は「日向ぼこ」で冬。ところで、いったい「日向ぼこ」とは何なのだろうか。冬は暖かい日向が恋しいので、日向でひととき暖かい場所を楽しむ。物の本にはそんなふうに書いてあるけれど、どこかしっくりこない。しっくりこないのは、ほとんどの人が「日向ぼこ」それ自体を、自己目的とすることがないからだろう。たとえば夏に太陽の下に出て肌を焼くというのなら自己目的だけれど、「日向ぼこ」にはそういうところがないようだ。昔の縁側で縫い物などをしている女性をよく見かけたが、彼女には縫い物が主なのであって、暖かい場所にいること自体は付随的な状態である。「さあ、日向ぼこをするぞ」と、さながら入浴でもするように目的化して、そこにいるのではないだろう。なるほど駅のベンチでも日が射しているところから席は埋まるが、そこに座ることが誰にとっても本当の目的ではない。すなわち「日向ぼこ」とは、主たる目的に付随した「ついでの行為」のようだ。その「ついでの行為」が、季語として確立しているのが面白い。掲句に従えば、傍目には暢気に見える「日向ぼこ」の人も、「まなうら(目裏)」では「火の海」を感じる人もいるというわけだ。たしかに冬の日の明るい場所で目を閉じると、瞼の裏に鮮烈な明るさを覚える。周辺に暗い場所が多いので、余計にそんな感じがする。が、それを形容して「火の海」と言うかどうかは、自身の精神的な状態によるだろう。「日向ぼこ」が必ずしも人をリラックスさせるものではないのだと、作者は言いたげである。久保田万太郎曰く「日なたぼっこ日向がいやになりにけり」。そりゃ、そうさ。「日向ぼこ」を自己目的化するからさ。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)


November 20112001

 ねむさうにむけるみかんが匂ふなり

                           長谷川春草

れからは、炬燵(こたつ)で蜜柑の季節。句の「みかん」は、いかにももぎたてで新鮮といった感じの蜜柑ではなく、買ってきて少々日数を経た「みかん」だろう。ちょっと皮がくたびれてきているので、なるほど、しなしなと「ねむさうにむける」のである。平仮名表記がそんな皮の状態につり合っていて、実に的確だ。で、「ねむさうに」むけていくうちに、思いもかけないほどの新鮮な芳香が立ちのぼってきたのだった。This is THE MIKAN. と、作者は感に入っている。私に蜜柑の種類などの知識は皆無だが、食べるときは句のような「ねむさうにむける」もののほうが好きだ。贈答用に使う立派な姿のものよりも、八百屋でも雑の部類に入る「ヒトヤマなんぼ」のちっぽけな蜜柑ども。そのほうが、甘味も濃いようである。食べ方にもいろいろあって、むいた後の実に付いている、あれは何と言うのか、白い部分をていねいに取り除かないと気のすまない人がいる。どんなに小さい蜜柑でも、房をひとつひとつ切り離してから食べる人もいる。私は無造作に幾房かをまとめて口に放り込んでしまうが、そういう人たちはまた、魚料理なども見事にきれいに食べるのである。なお、掲句は田中裕明・森賀まり『癒しの一句』(2000・ふらんす堂)に引用句として掲載されていたもの。(清水哲男)




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