世界の国々で、今いちばん事態を静観しているのはどこなのか。日本のマスコミに答えて欲しい。




2001ソスN11ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 21112001

 まなうらは火の海となる日向ぼこ

                           阿部みどり女

語は「日向ぼこ」で冬。ところで、いったい「日向ぼこ」とは何なのだろうか。冬は暖かい日向が恋しいので、日向でひととき暖かい場所を楽しむ。物の本にはそんなふうに書いてあるけれど、どこかしっくりこない。しっくりこないのは、ほとんどの人が「日向ぼこ」それ自体を、自己目的とすることがないからだろう。たとえば夏に太陽の下に出て肌を焼くというのなら自己目的だけれど、「日向ぼこ」にはそういうところがないようだ。昔の縁側で縫い物などをしている女性をよく見かけたが、彼女には縫い物が主なのであって、暖かい場所にいること自体は付随的な状態である。「さあ、日向ぼこをするぞ」と、さながら入浴でもするように目的化して、そこにいるのではないだろう。なるほど駅のベンチでも日が射しているところから席は埋まるが、そこに座ることが誰にとっても本当の目的ではない。すなわち「日向ぼこ」とは、主たる目的に付随した「ついでの行為」のようだ。その「ついでの行為」が、季語として確立しているのが面白い。掲句に従えば、傍目には暢気に見える「日向ぼこ」の人も、「まなうら(目裏)」では「火の海」を感じる人もいるというわけだ。たしかに冬の日の明るい場所で目を閉じると、瞼の裏に鮮烈な明るさを覚える。周辺に暗い場所が多いので、余計にそんな感じがする。が、それを形容して「火の海」と言うかどうかは、自身の精神的な状態によるだろう。「日向ぼこ」が必ずしも人をリラックスさせるものではないのだと、作者は言いたげである。久保田万太郎曰く「日なたぼっこ日向がいやになりにけり」。そりゃ、そうさ。「日向ぼこ」を自己目的化するからさ。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)


November 20112001

 ねむさうにむけるみかんが匂ふなり

                           長谷川春草

れからは、炬燵(こたつ)で蜜柑の季節。句の「みかん」は、いかにももぎたてで新鮮といった感じの蜜柑ではなく、買ってきて少々日数を経た「みかん」だろう。ちょっと皮がくたびれてきているので、なるほど、しなしなと「ねむさうにむける」のである。平仮名表記がそんな皮の状態につり合っていて、実に的確だ。で、「ねむさうに」むけていくうちに、思いもかけないほどの新鮮な芳香が立ちのぼってきたのだった。This is THE MIKAN. と、作者は感に入っている。私に蜜柑の種類などの知識は皆無だが、食べるときは句のような「ねむさうにむける」もののほうが好きだ。贈答用に使う立派な姿のものよりも、八百屋でも雑の部類に入る「ヒトヤマなんぼ」のちっぽけな蜜柑ども。そのほうが、甘味も濃いようである。食べ方にもいろいろあって、むいた後の実に付いている、あれは何と言うのか、白い部分をていねいに取り除かないと気のすまない人がいる。どんなに小さい蜜柑でも、房をひとつひとつ切り離してから食べる人もいる。私は無造作に幾房かをまとめて口に放り込んでしまうが、そういう人たちはまた、魚料理なども見事にきれいに食べるのである。なお、掲句は田中裕明・森賀まり『癒しの一句』(2000・ふらんす堂)に引用句として掲載されていたもの。(清水哲男)


November 19112001

 自動車のとまりしところ冬の山

                           高野素十

だ「クルマ社会」ではなかった頃の句。「自動車」という表現から、そのことが知れる。これは作者が乗っている「自動車」ともとれるし、それなりに句は成立するが、私は乗っていないほうが面白いと感じた。さて、バスやトラックではなくて、いわゆる乗用車が田舎道を走ってくることなどは滅多になかった時代である。走ってくればエンジン音がするし、いやでも「何事だろう」と村中が好奇の目を注ぐことになる。みんなが、どこの家の前でとまるのかと、じいっと眺めている。同じように作者も目で追っていると、点在する人家を遠く離れたところでやっととまった。はて、不思議なこともあるものよ。人の降りてくる気配もないし、なかなか発車もしない。しんと寝静まったような小さな「冬の山」の前に、ぽつんとある一台の黒い「自動車」は奇怪だ。好奇心はいつしか消えて、だんだん光景が寒々しい一枚の絵のように見えてくる。見慣れた自然のなかに、すっと差し込まれた都会的な異物が、ことさらにそう感じさせるのだ。昔の乗用車はたいてい黒色で塗ってあったから、この山がすっかり冠雪しているとなると、ますます寒々しい光景となる。子供の頃、近くを「自動車」が通りかかると、走って追いかけたのが私の世代だ。そんな世代には、懐かしくてふるいつきたいような寒々しさでもある。『雪片』(1952)所収。(清水哲男)




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