NYで墜落。素早く「テロではなく事故だ」との発表。これも戦時情報であることを含む必要はある。




2001ソスN11ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 13112001

 菊人形問答もなく崩さるる

                           藤田湘子

語は「菊人形」で秋。漱石の『三四郎』に本郷団子坂での興業の賑わいぶりが登場する。明治末期の話だが、この時期の娯楽としては相当に人気が高かったようだ。さて、掲句は現代の作。菊師(きくし)入魂の作品である人形も、興業が果てて取りかたづけられる段になると、かくのごとくに「問答無用」と崩されていく。丹精込める菊師の人形作りには「問答」があるけれど、始末する作業者にはそれがない。ないから、むしろ小気味よい感じで「崩さるる」のだ。このときの作者には、せっかくの人形を乱暴に崩すなんてなどという感傷はないだろう。見る間に崩されていく場景を、むしろ無感動に近い気持ちで見つめている。仮に哀れの念がわくとしても、それはこの場を去ってからのことにちがいない。あまりにも見事な崩しぶりに、感じ入っているだけなのだ。ひどく乾いた抒情が、句から伝わってくる。ところで、小沢信男に「凶の籤菊人形の御袖に」がある。「凶」だとはいえ、そこらへんに捨ててしまうわけにもいかず、持ち歩いていた御神籤(おみくじ)の札を、そっと「菊人形の御袖に」しのばせたというのである。なかなかに、洒落れた捨て所ではないか。で、展示が終了したときに、この人形をどさどさっと手際よく作業者が崩しにかかると、なにやら白い紙がひらひらっと舞い上がり、男の額にぺたりと張り付いた。なんだろうと、男が紙を開いてみる。……。「へい、おあとがよろしいようで」。『去来の花』(1986)所収。(清水哲男)


November 12112001

 女人咳きわれ咳きつれてゆかりなし

                           下村槐太

語は「咳(せき)」で冬。待合室だとか教室だとか、人中では咳をしたくとも、なるべくこらえるのがマナーだろう。作者もそう心得てこらえていたのだが、ちょっと離れたところで、こらえきれなくなったのか、女性が咳をした。とたんに、作者も「つれて(連れて)」咳をしてしまったというのである。私にも、経験がある。同病あい哀れむ。というほどのことでもないけれど、こんなときには、咳をした者同士の間に、すっと親近感がわくものだ。作者の場合は、お互いに目くらいは合わせたかもしれない。しかし、それも束の間で、またお互いはそっぽを向くことになる。「ゆかりなし」だからだ。一瞬の親近感がパッと引いてしまう微妙な交流の機微を描いて、的確だ。「ゆかりなし」と、当たり前のことを内心で大声で言っているのも面白い。咳の後での、腕組みをして憮然とした作者の表情が目に浮かぶようで、滑稽感もある。これはもちろん「女人咳き」だから成立する句なのであって、相手がおっさんでは句にならない。きっと、美人の咳だったんだろうな。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


November 11112001

 贈り来し写真見てをる炬燵かな

                           高浜虚子

語は「炬燵(こたつ)」で、もちろん冬。こういう句に接すると、つくづく虚子は「俳人だなあ」と思う。なんだ、こりゃ。作者が、ただ炬燵で写真見てるだけジャンか。どこが面白いのか。凡庸にして陳腐なり。と、反発する読者もおられるだろう。かつての私もそう思っていたが、最近になって「待てよ」ということになった。というのも、たしかに名句ではないだろうけれど、この場面を自分が実際に句に仕立てるとなると、このように詠めるだろうかという疑問がわいてきたからだ。たぶん、私には無理である。(再び……)というのも、炬燵にあたっているゆったりとした時間のなかで、何枚かの「写真」を眺めていれば、おのずからいろいろな思いが触発されるわけで、どうしてもそれらを同時に表現したくなってしまうからだ。たとえば、このときは愉快だったとか、疲れてた、などと。だが、虚子はそれらの思いをばっさり切り捨てて、ただ「見てをる」と言った。なんでもないようだが、ここに俳人の俳人たる所以が潜んでいるのだと思う。これが「俳句」なんだよと、問わず語りのように知らんぷりをして、掲句は主張しているように写る。そう考えると、ここで「見てをる」の「をる」と「贈り来し」の「贈」は見事に響きあう。つまり作者は、写真から触発されたさまざまな思いをばっさりと切り捨てることによって、「贈り来し」人への挨拶を際立たせているのだ。ていねいに一枚ずつ拝見していますよ。「をる」とは、そういう措辞である。すなわち、読者一般には「どんな写真なのか」と思わせながら、その想像にかかっているはずの梯子をひょいと外して、実は写真を贈ってくれた特定の人に深い謝辞を述べているのだ。といって、私は作者が虚子だからそう思うのではない。「俳句」だから、そう思わざるを得ないのだ。『七百五十句』(1964)所収。(清水哲男)




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