あと十日で、今年の大きな仕事が終わる。試験前の学生みたいに、やたらと無関係な本が読みたい。




2001ソスN11ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 12112001

 女人咳きわれ咳きつれてゆかりなし

                           下村槐太

語は「咳(せき)」で冬。待合室だとか教室だとか、人中では咳をしたくとも、なるべくこらえるのがマナーだろう。作者もそう心得てこらえていたのだが、ちょっと離れたところで、こらえきれなくなったのか、女性が咳をした。とたんに、作者も「つれて(連れて)」咳をしてしまったというのである。私にも、経験がある。同病あい哀れむ。というほどのことでもないけれど、こんなときには、咳をした者同士の間に、すっと親近感がわくものだ。作者の場合は、お互いに目くらいは合わせたかもしれない。しかし、それも束の間で、またお互いはそっぽを向くことになる。「ゆかりなし」だからだ。一瞬の親近感がパッと引いてしまう微妙な交流の機微を描いて、的確だ。「ゆかりなし」と、当たり前のことを内心で大声で言っているのも面白い。咳の後での、腕組みをして憮然とした作者の表情が目に浮かぶようで、滑稽感もある。これはもちろん「女人咳き」だから成立する句なのであって、相手がおっさんでは句にならない。きっと、美人の咳だったんだろうな。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


November 11112001

 贈り来し写真見てをる炬燵かな

                           高浜虚子

語は「炬燵(こたつ)」で、もちろん冬。こういう句に接すると、つくづく虚子は「俳人だなあ」と思う。なんだ、こりゃ。作者が、ただ炬燵で写真見てるだけジャンか。どこが面白いのか。凡庸にして陳腐なり。と、反発する読者もおられるだろう。かつての私もそう思っていたが、最近になって「待てよ」ということになった。というのも、たしかに名句ではないだろうけれど、この場面を自分が実際に句に仕立てるとなると、このように詠めるだろうかという疑問がわいてきたからだ。たぶん、私には無理である。(再び……)というのも、炬燵にあたっているゆったりとした時間のなかで、何枚かの「写真」を眺めていれば、おのずからいろいろな思いが触発されるわけで、どうしてもそれらを同時に表現したくなってしまうからだ。たとえば、このときは愉快だったとか、疲れてた、などと。だが、虚子はそれらの思いをばっさり切り捨てて、ただ「見てをる」と言った。なんでもないようだが、ここに俳人の俳人たる所以が潜んでいるのだと思う。これが「俳句」なんだよと、問わず語りのように知らんぷりをして、掲句は主張しているように写る。そう考えると、ここで「見てをる」の「をる」と「贈り来し」の「贈」は見事に響きあう。つまり作者は、写真から触発されたさまざまな思いをばっさりと切り捨てることによって、「贈り来し」人への挨拶を際立たせているのだ。ていねいに一枚ずつ拝見していますよ。「をる」とは、そういう措辞である。すなわち、読者一般には「どんな写真なのか」と思わせながら、その想像にかかっているはずの梯子をひょいと外して、実は写真を贈ってくれた特定の人に深い謝辞を述べているのだ。といって、私は作者が虚子だからそう思うのではない。「俳句」だから、そう思わざるを得ないのだ。『七百五十句』(1964)所収。(清水哲男)


November 10112001

 猟銃が俳人の中通りけり

                           矢島渚男

語は「猟銃」から「狩」につなげて冬。地方や狩る動物の種類によって解禁日は異なるが、十一月が多いと聞く。私の田舎でも、農閑期に入ったこれからが猟期である。あちこちの山から、発射音が聞こえてくる。さて掲句は、吟行で訪れた山道で猟銃を背負った男とすれ違った光景を詠んでいる。場所は、作者の暮らす信州だろう。同じ山道を歩いてはいても、俳人の目的と猟人のそれとでは大いに異なる。作者はそのことを斟酌して、猟師とすれ違ったとは言わずに、「猟銃」が俳人仲間の中をぬうっと通っていったと言っている。こういうときには、お互いに違和感を感じるものだ。作者を除けば、多くは他所者の「俳人」たちからすると、土地の猟師が通っていくのだから、自然にぬうっと見えるのも道理だけれど、一方で土地の男にしてみると、そんな気持ちではあるまい。いつもの山道に見知らぬ都会モンが群れているだけで、その間をすり抜けるのは照れ臭い気がする。だから下うつむくようにして、鉄砲をことさらに肩に揺すり上げ、足早に通り過ぎようとした。大げさに言えば、この場面は互いの文化の衝突なのだ。作者は若き日を東京で暮らし、故郷信州に戻って長く住む人ゆえに、このあたりの両者の心理的な機微は心得ている。その片方から見れば、この句のようになるけれど……。というわけだが、わざわざ仲間を突き放すようにして「俳人」と詠んだのは、すれ違ったときに、非常に親しいはずの「俳人」よりも、そして自分も「俳人」なのに、見知らぬ地元の猟師のほうに、ふっと親近感を覚えてしまったからに違いない。地元の人間同士の気持ちは、たとえ顔見知りではなくとも、このように微妙に通いあうものである。『梟のうた』(1995)所収。(清水哲男)




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