一の酉。今年は三の酉まである。三まである年は火事が多いという言い伝え。何故だろう。ご教示乞う。




2001ソスN11ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 06112001

 米提げて野分ただ中母小さし

                           飴山 實

書に「母来阪、大阪駅にて」とある。「野分(のわき)」は秋に特有の強風のことで、草木を吹き分けるほどの強い風のこと。さて、作者が田舎から出てきた母親を出迎えたのは、戦後九年目の大阪駅だ。ホームには、台風だったのか、風が激しく吹き過ぎている。そして少し離れた降車口から降りてきた母は、重そうに大きな包みを提げており、作者には中身を問わずとも、それが「米」だとわかった。風にあおられた母の姿は、ことのほか小さく見えた。無理をして「米提げて」くることはないのに……。息子はちらりとそう思い、足早に母に近づいていく。似たようなシチュエーションはよくあるだろうし、句が母子の関係に何か格別な発見をしているわけでもない。「母小さし」も、使い古された言い方である。しかし、なおこの句に私が魅かれるのは、大阪駅に吹く強風を「野分」と言っているところだ。都会の強風を「野分」とする例はあるけれど、その場合には自然の草木や風物が介在する。いかな戦後間もなくとはいえ、大阪駅のホームには一草たりとも生えてはいなかった。なのに、たとえば台風とは言わずに、あえて野を分ける風と言ったのか。言いたかったのだろうか。手品のタネは既に露見しているようなものだが、作者が「小さき母」に認めたのは、単にひとりの老いた母の像だけではなくて、懐かしい田舎のイメージだったからである。実際に提げてきたのは「米」であるが、負ってきたのは故郷であった。このとき、大都会の駅も「野分のただ中」に……。「台風」ではなく「野分」でなければならない所以である。したがって「前書」を必要とした。もはや「木枯らし」の季節だが、今年の秋の部に駆け込み記入(笑)。明日は「立冬」。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)


November 05112001

 サフランや姉居し頃の蓄音機

                           木村十三

まには、こんな良家風の句もよいものだ。季語は「サフラン」で秋。春に咲くクロッカスと同種だ。花弁の淡紅色に、雄しべの黄色と雌しべの赤との取りあわせが美しい。昼なお仄暗い洋間から、作者は庭の「サフラン」を眺めている。窓の傍らには、姉がいたときと同じところに、もう誰も使わなくなった「蓄音機」がそのまま置いてある。姉がいた頃には、よく大事にしていたレコードを聞かせてもらったっけ。昔と変わらぬ部屋であり、サフランであり、蓄音機であるのだが、もはや昔日のはなやぎがこの部屋に戻ってくることはないだろう。姉を追慕する心は、この家の盛りがとっくに過ぎてしまったことを知っている。むろん、こうした想像は、私の独断的な好みによるものだ。まったく違う想像も可能だ。しかし「姉」と「サフラン」と「蓄音機」と来れば、私の想像も当たらずといえども遠からずではないかと思う。とりわけて、「姉」がいなくなっても処分しきれずに置いてある「蓄音機」というのだから、想像に拍車がかかる。安物ではあるまい。手回し式のものではなくて、いわゆる「電蓄(でんちく)」ではないだろうか。それこそ良家で、何度か聞かせてもらった記憶がある。その大きさ、その仕立てからして、子供心を震撼せしめるような輝きを放っていた。機械のデザインに魅せられた最初が、そのシックな電蓄であった。私がいまパソコンのMacintoshを愛用するわけも、元はといえば、その電蓄の魅力に発している。『俳句の花・下巻』(1997)所載。(清水哲男)


November 04112001

 二階からたばこの煙秋のくれ

                           除 風

の江戸期の無名俳人の作をいまに残したのは、ご存知柴田宵曲(1897-1966)の手柄だ。実に不思議な句で、後を引く。宵曲は「ただ眼前の景である」と言い切っている。平屋がほとんどだった時代だから、二階家というと、普通に商家と思ってよいだろう。だから、「たばこ」をふかしているのは客である。食い物商売か、飲み屋の類か。通りがかりの作者は、ただ二階屋から「たばこの煙」がひっそりと立ちのぼっている様子を見たというだけで、後は何も言っていない。それが「秋のくれ」に似つかわしいと抒情しているのだ。そういうことになる。しかしねえ、宵曲さん。と、稀代の碩学には失礼を承知で申しあげるのですが、通りがかりの二階家の窓から流れ出た煙管煙草の煙が、たそがれ時の往来から見えたりするものでしょうか。それと意識していれば見えるかもしれませんが、作者にその意識があるとは思えないのです。ふかしている人の影でもあるのならばともかく、何気なくふっと見上げた目には、たぶん写らないのではないでしょうか。すなわち、私は実景ではなく、秋の夕暮れの侘しさを詠むための想像句と読んだのでした。あるかなきかのか細い一筋の「たばこの煙」が、この季節の夕暮れにあらまほしき小道具として作者は詠み、それが逆に実景としてのリアリティを保証したのではないのかと。いずれにしても宵曲の言っているように、詠まれたもの以外は他の「消息」を何も伝えていない句だ。そのことが俳句としての不思議を拡大するのであり、そのことが秋の暮れの侘しさの伝統的な根拠を示す要因となっているのだろう。春夏秋冬の日暮れのなかで、いちばん人の気配の薄いのが秋だということを、見えない「けむり」に託した句というのが、私の読み方です。『古句を観る』(1984・岩波文庫)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます