牛丼屋の前を通ると、つい店内を見てしまう。普段は見ないので、客足などわかりっこないけど。




2001ソスN10ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 14102001

 爛々と昼の星見え菌生え

                           高浜虚子

後二年目(1947)の今日、十月十四日に小諸で詠まれた句。一読、萩原朔太郎の「竹」という詩を思い出した。「光る地面に竹が生え、……」。この詩で朔太郎は「まつしぐらに」勢いよく生えた竹の地下の根に、そして根の先に生えている繊毛に思いが行き、それらが「かすかにふるえ」ているイメージから、自分にとって「すべては青きほのほの幻影のみ」と内向している。勢いあるものに衰亡の影を、否応なく見てしまう朔太郎という人の感覚を代表する作品だ。対照的に、虚子は「菌(きのこ)」を生やしている。松茸でも椎茸でもない、名も無き雑茸だ。毒茸かもしれない。いずれにしても、この「菌」そのものがじめじめと陰気で、竹のように「まつしぐら」なイメージはない。朔太郎はいざ知らず、多くの人が内向する素材だろうが、ここで内向せずに面を上げて昂然と天をにらんだところが、いかにも虚子らしい。陰気な地を睥睨するかのように、天には昼間でも「星」が「爛々(らんらん)と」輝いているではないか。もとより「昼の星」が見えるというのは、朔太郎の「繊毛」と同様に幻想である。このときに「爛々と」輝いているのは、実は「昼の星」ではなくて、作者自身の眼光なのである。敗戦直後「菌」のように陰気で疲弊した社会にあって、何に対してというのでもないが「負けてたまるか」の気概がこめられている。以下、雑談。かつて山本健吉は、この星を「火星」だと言った。幻想だからどんな星でも構わないわけだが、正木ゆう子が天文に明るい知人に調べてもらった(参照「俳句研究」2001年10月号)ところでは、虚子に当日見える可能性のあった星としては土星しか考えられないそうである。「昼の星」は「視力がよければ見えることはあるし、そうでなくても井戸の底からとかジャングルの中からとか、つまり視界を限れば見えるだろうという返事」とも。『六百五十句』(1955)所収。(清水哲男)


October 13102001

 はぜ釣るや水村山廓酒旗風

                           服部嵐雪

語は「はぜ(鯊)釣」で秋。私には体験がないのでわからないのだが、江戸期、嵐雪の時代の釣り方が『和漢三才図会』に出ている。「綸(つりいと)の端、鈎(つりばり)を去ること二三寸許の処に、鉛の錘を着、鈎を地に附しむ。微動の響を俟(まっ)て竿を揚ぐ。秋月、貴賎以て遊興の一ツとす」。餌には「小エビ」を使った。さて、嵐雪も秋晴れの一日を入り江の村に「遊興」に出かけた。山に囲まれた一郭では、居酒屋の旗が風にはためいている。気持ちの良い浮き浮きした気分が、伝わってくる。ただ、字面を眺めていると、どことなく釣り場の風景が日本的ではないことに気がつく。それもそのはずで、句の「水村山廓酒旗風(すいそんさんかくしゅきのかぜ)」は、晩唐の詩人・杜牧(とぼく)の五言絶句の一節をそっくりそのままいただいたものだからだ。和歌の本歌取りの手法である。だとすれば、嵐雪はこれを机上で作ったのかという疑問もわいてくるけれど、そうではあるまい。やはり、鯊釣りの現場での発想だ。人間、心持ちがよくなると、見立てもまたどんどん気分の良い方にふくらんでいく。いまの自分は杜牧のような大詩人なのであり、杜牧の詩と同じ景色の中にいるのだと……。卑近な例では、日本のどこかの路を歩いていて、なんだか有名な外国の通りを歩いているような気持ちになったりするが、そんな見立てにも通じている。鯊の天麩羅が食べたくなった。(清水哲男)


October 12102001

 はじめから傾ぐ藁塚にて候

                           伊藤白潮

語は「藁塚(わらづか)」で秋。新藁を保存するために、刈り田のあとに円筒形に積み上げた塚だ。「にお」と呼ぶ地方が多いらしいが、私の田舎の山口では「としゃく」と言っていた。今も「としゃく」だ。漢字では、どう書くんだろうか。棒を中心に立てて積んでいたが、棒を使わない積み方もあるのだという。とにかく上手に積み上げないと、「藁塚」は日が経つに連れてだんだんと傾いてくる。見た目にも、ぶざまになる。掲句は、そんな下手な積み上げ方をされた「藁塚」が、作ったご主人に代わって言いわけをしているのだ。「はじめから傾(かし)ぐ」ようにと、ご主人は意図的に積み上げられたのですから、笑うのは筋違いですよ。私は平気でござんすからね、以上っ。と、かたわらを通る人みんなに、頼まれもしないのに説明しているのである。そこが可笑しい。当たり前の話だが、各種の農作業の工程に巧拙はつきもので、それぞれに苦手な作業も出てくる。百姓だからといって、百姓仕事のすべてを完璧にこなせるわけじゃない。「藁塚」などは長く人目につくものなので、苦手な人には苦痛だろう。きっと誰かが笑っているという強迫観念に苛まれる人も、いるはずだ。だから作者はそこらへんの事情を慮って、べつに下手だっていいじゃないかと、この句をわざわざ書いたのである。心根の優しい俳人だなと、元農家の子供としては思ったことである。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)




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