キンモクセイが香りはじめましたね。今年もあと三ヶ月です。時間がサラサラと流れてゆきます。




2001ソスN10ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 01102001

 クレヨンの月が匂ひて無月かな

                           田尻すみを

宵は中秋の名月。雲におおわれて名月が見えない状態を「無月(むげつ)」と言う。雨ならば「雨月(うげつ)」となる。一炊という昔の人の句に「月かくす雲こそ二九四十五日」(「二九四」は「にくし」、足すと「十五」)があり、残念な気持ちを駄洒落に託して舌打ちしている。掲句の作者も残念は残念なのだが、子供の画いた満月の絵をながめながら、見えない月を心に描いたところに情趣が感じられる。なるほど、これもまた月見には違いない。子供の絵は、宿題で明日学校に提出するために画いたのだろう。画いた子供は、さっさと寝てしまった。まだ画きたてなので、「クレヨン」の匂いが濃く漂ってくる。懐かしい匂いだ。と思うと同時に、もう「クレヨン」で絵が画けるようになった我が子の成長ぶりにも、思いが至っている。「無月」を詠んではいるが、見えない句の力点は、むしろこちらにかかっていると、私は読む。「クレヨン」の匂いといえば、以前ウチの子にアメリカ土産にくださった方があった。「クレヨン」など、どこの国のものでも匂いは同じだろうと思っていたが、さにあらず。彼の国のそれは「匂う」というよりも「臭う」という感じで、家族みんなで閉口した。仮にこの「クレヨン」で画いた絵だとしたら、とうてい掲句は生まれえない。それほどに強烈な「臭い」であった。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


September 3092001

 すだちしぼる手許や阿波の女なる

                           京極杞陽

語は「すだち(酢橘)」で秋。昔から、阿波徳島の名産だ。物の本には「果汁は多く酸味が強いが、多種類の酸性アミノ酸を含むために特有の風味と芳香があり、酢として珍重される。季節感のある果物の一つとして風味を尊び、緑果のうちに利用され、焼きマツタケやシイタケなどにはふさわしく、焼き魚、煮物、刺身、吸い物、湯豆腐など和食にあう。ブランデーや紅茶などにも調和する。8月末から10月にかけて出荷が多い。(飯塚宗夫)」とある。私の祖父は本場徳島の男だったが、晩年に暮らした大阪で「すだち」を食膳に上げていた記憶はない。容易には、手に入らなかったからだろう。現在では、それこそ大阪にでも東京にでも全国的に出荷されている「すだち」は、掲句が作られた三十年前くらいだと、なかなかお目にかかれぬ果実であった。この背景を知らないと、この句の味はわからない。困ったものだが、これも俳句の因果なところ。で、この背景を知ってしまえば、句意は明瞭となる。どこぞの料亭か小料理屋で、こともなげに「すだち」をしぼる女性がいた。「徳島の出だね、さすがだねえ」と作者は話しかけ、案の定だったと言ったに過ぎない。でもね。私も放送のゲストのかすかな訛りから、出身地を嗅ぎ当てたくなったりする。それが何だと言われても困るけれど、そんなひとりよがりの得意や楽しみが、誰にでも一つや二つはあるかと思って、この句を掲載した次第。湯豆腐が食べたくなった。『露地の月』(1977)所収。(清水哲男)


September 2992001

 秋晴の空気を写生せよといふ

                           沢木欣一

者自註に「『空気が写生出来なければ駄目だ』と棟方さんが語った。終戦間もなく富山県福光町に疎開中の棟方さんを訪ねた頃のこと」とある。「棟方さん」とは、棟方志功のことだ。いかにも画家らしい言葉だが、あらゆる表現者に通ずるところがあると思う。言葉の意味としては、別に突飛でも難しくもない。たとえば「秋晴」に何をどのように感じるかは、何も感じないことを含めて、人さまざまである。このときに、どういう感じ方をしても自由なわけで、それがその人なりの「秋晴」という事象の「把握」だ。表現をしない人は常に事象を把握するのみにとどまるが、むろんそれはそれで一向に構わない。だが、ひとたび自分が把握したすべてを正確に他人に伝えようとなると、どうしても見えない「空気」を見えるように「写生」しなければならない。……と「棟方さん」は言うのである。考えてみれば、誰のどんな「把握」であろうとも、心のなかでは既に「空気」までをも「写生」した状態にあるわけだ。それをそのまま出す(「写生」する)ことができなければ「駄目」なんだと、画家はしごく当たり前のことを述べたのであった。それにしても、作者は「棟方さん」の言葉をそのまんま句にして、なおいまひとつ真意がつかめずに考え込んでいるようだ。その考え込んでいる「空気」がそのまんまに「写生」されているので、句になったというところか。『二上挽歌』所収。(清水哲男)




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