自衛隊を危険地域にも、と小泉。先達が血であがなった半世紀も「紙」のごとしか。誰も死ぬなよ。




2001ソスN9ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2692001

 剣劇の借景の柿落ちにけり

                           守屋明俊

刈りなどの秋の農繁期を過ぎると、芝居がかかるのが楽しみだった。たまに旅回りの一座がやってくることもあったが、定期的に演じられていたのが素人芝居だ。村の若い衆とおっさん連中が、田圃やら空き地やらに舞台を組んで、クラシックな『瞼の母』やら『国定忠次』やらを演じたものだ。にわか作りの舞台だから、立派な背景画なんぞは望むべくもない。ならば、そこらへんの自然を生かして(「借景」として)やろうじゃないかと知恵を出し、舞台裏に見える景色に合った出し物を選んでいたのだろう。実際、日ごろ無愛想な近所のおっさんが、白塗りで「山は深山(しんざん)、木は古木(こぼく)……」と見栄を切る場面なんぞは、背景がまさにその通りなのだからして「ウマいことを言うなあ」と感心した覚えがある。だから、いまだに覚えているのだ。さて、掲句ではクライマックスの「剣劇」シーンだ。切り狂言といって、この立ち回りが芝居の華。「役者」たちが演出通りに押したり引いたりしていると、背景の柿が突然ぽたっと落ちた。おそらくは、あろうことか舞台の上に落ちてきたのだろう。これで舞台と客席に張りつめていたせっかくの緊張感が、あっけなくも途切れてしまう。なかには、吹き出す奴もいたりする。ここで、芝居はパーだ。柿が熟して自然に落ちる様子は「ぽたっ」というよりも「ぽたあっ」ないしは「ぼたり」と、かなり存在感のある落ち方をする。そこらへんの機微をよく捉え、滑稽感に哀感を振りかけたような味が面白い。いや、お見事っ。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


September 2592001

 夜の黄葉運河に並ぶ娼婦館

                           棚山波朗

語は「黄葉(こうよう・もみじ)」。秋に紅葉しないで葉が黄色くなるのは、イチョウ、ケヤキ、クヌギなど。オランダはアムステルダムでの作句だそうだ。詳しくは知らないが、あの国には公娼制度があって、女たちが春をひさぐ「娼婦館」の建ち並ぶ一画がある。四半世紀ほども前に、一度だけ通りかかったことがあるが、いわゆる「飾り窓」システムだった。私には目もくらむような美女たちが、豪華なインテリアで装飾された部屋で、思い思いの格好で客を待っている。彼女たちと交渉する男は、部屋の片隅の表の細いドアから室内に入り、多くの野次馬に見つめられながら「商談」をせねばならない。だからいくら「旅の恥はかき捨て」と言っても、交渉には相当な度胸がいる。もちろん、金もいる。見ていると、商談不成立ですごすごと出てくる客は、ほとんどが黒人であった。「チクショウめっ」と、これは野次馬たる私の代弁。彼女たちには客を断わる権利があり、眺めていた感じでは「春をひさぐ」というような哀れさは微塵もなかった。そのときに「上を見ろ」と、いっしょにいた事情通が言った。「若い女は、こうして一階にいられる。何年かすると、二階に上がる。そのうちに、最上階に追いやられるんだ」。見上げると、上の階にいくほど照明が薄暗くなっていた。いちばん「黄葉」に近いところでは、灯の消えている部屋もあった。以上が、掲句についての私なりの解釈のつもりである。「俳句」(2001年10月号)所載、『雁風呂』所収。(清水哲男)


September 2492001

 臼ニなる榎倒れて夜寒哉

                           中村掬斗

者は一茶門、信州の人。それでなくとも、信州への寒気の訪れは早い。ましてや今日は、夏の間茂り木陰をつくっていた「榎(えのき)」(エノキに「夏の木」という日本字をあてるのは、このことから)が伐り倒され、夜寒もひとしお身にしみる。「榎」は高さ20メートルほどにも及ぶ大木だから、伐り倒された後の光景はさぞや寒々しかったにちがいない。私が気に入ったのは「臼(うす)ニなる」の「なる」。「榎」の材質は堅いので、昔から建材や家具に用いられてきた。が、消費者としての現代人はもはや結果としての建材や家具を目にするだけで、鞠斗の時代の人々のように、目の前の大木が結果としての「臼」になる過程に携わったり見たりすることはない。伐り倒された木の太い部分は「臼」になり、枝の部分は薪炭になる。と、当時の人々は倒された木から、いや木が立っているうちから、ごく自然に過程と結果をイメージできたのだ。その「ごく自然」な心が、臼に「なる」という言い方に表れており、決して臼に「する」ではないのである。木が自然に生長してきたように、今度は自然に臼に「なる」のだと言ってもよい。このことを逆に言えば、当時の読者にとっての掲句の「なる」は、あまりにも当たり前すぎて面白くもなんともなかっただろう。むろん作者の眼目も「なる」にはないので、句意は動かない。『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)




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