行方不明者の実家にすがりつく取材者たち。バカな企画にこきつかわれる哀れさよ。テロれたらなあ。




2001ソスN9ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1492001

 水澄みて金閣の金さしにけり

                           阿波野青畝

語は「水澄む」。夏に比べて、秋は大気が爽やかになり水の澄む季節なので、秋の季語である。その水が澄みに澄んで、「金閣」寺を美しく写し出している。さながら絵葉書に見るような情景だ。戦前の作だから、焼失(1950)する前の建物であり、美しさは想像するしかないが、現在のものよりも「金」の色はくすんでいたかもしれない。歴史を経た金色である。その金色が折からの西日を受けて(作者自解による)、くすんだままにくっきりと池に投影されてきた。「さしにけり」の「さす」は、「口紅をさす」などと言うときの「さす」。彩(いろど)りをするという意味。澄み切った池の水に西日の傾きに連れて、すうっと地味な金色が反映してきたときの動的な感覚を表現している。絵葉書と言ったが、この「さしにけり」までの動きは絵葉書では表せない。空は晴れているので、上空には当然秋の夕焼けがのぞめたろう。すなわち、空も金色を湛えていた。と、ここでまた絵葉書。「寺を辞したとき、すでに日が西に没していた」と、自解にある。目裏に美しい残像を刻みつけるようにして、作者は寺を離れたことだろう。日の暮れた京都のひんやりとした大気の感触が、すこぶる心地よい。『国原』(1942)所収。(清水哲男)


September 1392001

 秋あつし宝刀われにかかはりなき

                           藤木清子

和十五年ころ、第二次大戦前夜。やむにやまれぬ大和魂。いつ日本が伝家の「宝刀(ほうとう)」を、欧米の列強相手に引っこ抜くかが、国民的な話題となっていたころの作だ。作者には掲句以前に「戦争と女はべつでありたくなし」などがあり、愛国心に男も女もないという気概を披歴している。が、女性には参政権もなかった時代だから、気概も徐々に空転して「われにかかはりなき」の心境に至ったのだろう。時の国家権力にいくら共鳴し近づこうとしても、しょせん女は排除される運命だと諦観した句と推定できる。勝手にしやがれ、なのである。このように、明らかに国家による女性差別の時代があった。そして、いきなりの男女同権、主権在民……。望ましいと言うよりも、しごく当たり前の時代が到来したわけだ。が、はしょって述べるしかないけれど、男女同権主権在民の「民主主義」が明確にしたのは、皮肉にもそんな権利では取りつくシマもない権力構造そのものの姿だった。藤木清子よ。あなたは女ゆえに、愛国者として権力に翼賛することを拒否されたわけではなかったのだ。抜けば玉散る氷の刃(やいば)。いつの時代にも、そんな見栄を実行に踏み切れるのは権力者だけである。したがって「正義」の名の下に真珠湾に奇襲をかけ、逆に「正義の報復」に原子爆弾を平然と投下した権力もありえたのだ。このことを思うと、われら女も男も「われにかかはりなき」とでも、お互いに可哀想にもつぶやきあうしかないのではないか。カネもヒマもない庶民には、テロリズムもまた、思弁的夢想の範疇でしか動かせない。「秋あつし」……。『女流俳句集成』(1999)所収。(清水哲男)


September 1292001

 江戸の空東京の空秋刀魚買ふ

                           摂津幸彦

風一過の(か、どうかは知らねども)抜けるような青空が広がっている。この空は、江戸も東京も同じだ。とても気分がよいので、今夜は「秋刀魚(さんま)」にしようと買い求めた。江戸の人も、青空の下で自分と同じような気分で買っていたにちがいない。時代を越えて、この空が昔と同じであるように、昔の人と気持ちがつながった思いを詠んでいる。威勢のよさのある魚だから、江戸っ子気質にも通じている。ところで、江戸期に秋刀魚は「下品(げぼん)」とされていたようだ。つまり、下等な魚だと。例の馬琴の『俳諧歳時記栞草』を調べてみたが、載っていなかった。となれば、「秋刀魚」はごく新しい季語ということになる。あまりにも安価でポピュラーすぎた魚だからだろうか。そりゃまあ、鯛(たい)なんかと比べれば、ひどく脂ぎっているので上品な味とは言えない。そういえば落語の『目黒の秋刀魚』の殿様の食前にも、蒸して脂を抜き上品に調理した(つもりの)ものが出ていたのだった。さぞや不味かったろう。だから「秋刀魚は目黒に限る」が効いている。掲句とは無関係だが、「秋刀魚」の句を探しているうちに、こんな句に出会った。「花嫁はサンマの饅のごときもの」(渡辺誠一郎)。「饅」は酢味噌で食べる「ぬた」。ずいぶん考えてみたが、さっぱりわからない。悔しいけど、お手上げです。どなたか、解説していただけませんでしょうか。両句とも『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます