時間が許せば、福井から京都へ。まだ新しい京都駅を知らないので、せめて駅ビルだけでもと思う。




2001ソスN9ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0292001

 帽置いて田舎駅長夜食かな

                           池内友次郎

食の後の夜長にとる軽い食事が「夜食」。秋の季語。作者は旅の途次で、遅い時間に次に来る列車を待っているのだろう。田舎の路線のことだから、夜になると一時間に一本来るか来ないか、そんな間隔でしか列車はやってこない。最終列車かもしれない。待っている客もまばらで、駅舎の周辺では虫の音がしきりというシチュエーションである。これが思い出としての旅の良き味わいでもあるのだが、実際に現場でくたびれて待つ身には辛いところだ。ふと、待合所から事務所のなかを見やると、駅長が「夜食」をとっている姿が見えた。ポイントは「帽を置き」であり、そこには束の間、帽子を脱いで職務を離れた駅長のリラックスした姿があるのと同時に、いかに軽食とはいえ食事を「いただく」姿勢が礼節にかなってきちんとしているところに、作者は好感を寄せている。いかにも昔気質の「田舎駅長」の顔までもが、浮かんでくるような句だ。まだSLが全盛で走っていたころの情景だろう。やがて、汽笛を鳴らして列車が近づいてくる。脱いだ帽子を目深にかぶり直し、いつものように「田舎駅長」は淡々とした姿で、砂利の敷き詰められたホームに出ていくのである。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 0192001

 越中八尾二百十日の月上げし

                           渡辺恭子

日は立春から数えて「二百十日」目。大風(おおかぜ)がおこりやすい頃で、ちょうど稲の開花期にあたることから、農家では風を恐れて「厄日」とした。俳句で「厄日」といえば「二百十日」を指し、したがって「厄日」も秋の季語である。掲句の「八尾(やつお)」は富山県八尾町のことで、近年とみに有名になってきた越中「風の盆」の夕景を詠んでいる。風の神をしずめる風祭と盂蘭盆の収めの行事が合体した「風の盆」は、越中に限らず各地で行われる。そんななかで、ここに人気が集まっているのは、歌われる「越中おわら節」のポピュラリティもさることながら、伴奏に胡弓が使われるところにあるのだろう。私はテレビでしか見たことはないけれど、あの哀調を帯びた調べは、それでなくとも物悲しくなる秋の心に染み込んでくるようだ。今宵の月は、ほぼ真ん丸。晴れていれば、掲句とぴったりの情景のなかで、胡弓の音は夜を徹して冴え渡る。最近はマナーの悪い観光客に悩まされているという話しも聞くが、おだやかな三日間(祭りは今日から九月三日まで)であってほしい。間もなく、秋の農繁期が訪れる。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


August 3182001

 父に金遣りたる祭過ぎにけり

                           藤田湘子

ろそろ秋祭のシーズンだが、単に「祭」といえば夏祭を指す。古くは京都の葵祭(賀茂祭)だけを意味した。八月も、今日でお終い。この句は、過ぎゆく夏を振り返っての作だ。眼目はむろん、父親に小遣いを渡したことにあり、そういうことをしたのはこの夏が最初だったのだ。このとき、作者は五十代。やっと一人前になれたという感慨に加えて、気がついてみたら、作者自身の人生の盛り(夏祭)が過ぎ去っていたことへの哀惜の念も込められている。息子から「祭」の小遣いをもらう身になった父親も十分に老いたが、渡した側ももう決して若くはないのである。ところで、この「遣(や)りたる」という言葉遣いに抵抗を覚える読者もおられるだろう。父親は目上の人だから、「あげたる」ではないのかと……。我が子にも「お菓子をあげる」と言い、犬にまで「餌をあげる」と言うのが一般的なようだから、無理もない。昔は両方ともに「遣る」と言った。すなわち、身内同士の振る舞いを掲句のように他人に示す場合には、一歩へりくだるのが礼儀だったからである。謙譲語に対して謙遜語とでも言うべきか。これを「あげたる」とすると、他人に対してたとえば「ウチのお父さんが」と言うが如しで、気色が悪い。そう言えば、テレビを見ていると「ウチのお父さん」派も増えてきた。内と外との区別がない。それも、内側の言葉を外へと押し広げていくだけのことだから、常識ではこれを「わがまま」と言う。『春祭』(1982)所収。(清水哲男)




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