やっとADSLでつながるはずの日。かえって遅くなったりもするそうですから、ドキドキしてます。




2001ソスN8ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 3082001

 ゆらゆらと回想のぼるまんじゅしゃげ

                           榊原風伯

に吹かれている「まんじゅしゃげ(曼珠沙華)」を、作者は眺めるともなく眺めていた。そのうちに、ぽつりぽつりと過去の出来事のあれこれが、思い出されてきた。だんだんと「ゆらゆらと」揺れる花そのものに、あたかも自分が変身でもしたかのように、次々に「回想」がのぼってくる。「回想のぼる」が、花の揺れと同化した感じをよく出していて面白い。花が栄養を根から茎へと吸い上げるように、作者の思い出も自然に頭に「のぼる」ということである。と言うからには、おそらく作者が立っているのは墓地であろう。死んでいった親しい人々をめぐっての「回想」なのだ。私の記憶でも、曼珠沙華は皇居の堀端に群生するヤツを除くと、多くは墓地に揺れている花であった。墓地に多いのは、土葬の時代にネズミや獣による死体荒らし対策だったというのが通説だ。アルカロイドのリコリンを中心とする猛毒成分を含むので、殺鼠剤に使われたという。で、別名が「死人花(しびとばな)」、あるいは「彼岸花」。戦前の曲だが戦後にもよく歌われた歌謡曲に『長崎物語』というのがあり、「♪赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る…」の歌い出しからして華麗なので、よく歌った。しかし歌の「曼珠沙華」が、そこらへんの墓場にいくらでも咲いている「彼岸花」だとは、ちいっとも知らなかったのだった。『日めくり俳句 引出しの三行詩』(2000)所収。(清水哲男)


August 2982001

 職名を明かさぬ友や蕎麦の花

                           新海あぐり

者は男性。俳号の「あぐり」は「Agriculture」から。農家の出だ。帰郷して辺りを散策していたら、古い友人にばったりと出会った。彼もまた、都会に出ていった一人だ。「やあ……」と久しぶりの邂逅に、立ち話となる。成り行きとして、いまどんな仕事をしているのかと問うと、話しを逸らされてしまった。言いたくないのだ。と、作者が気づいたときには、既に気まずい雰囲気となっている。所在なく遠くに目をやると、てんてんと白い「蕎麦の花」が咲いている。子供のころから見慣れた何でもない花なのだが、いつになく寂しい感じに見えたというのである。たいていの歳時記には「寂しげに見える花」と記述されているが、それは通行人の感覚であって、蕎麦を育てている地元の人々にとっては寂しいも何もない。句の眼目も、そこにあるのだろう。友人の不遇を感じて、はじめて「蕎麦の花」が寂しく見える花であることを知ったのだ。もう三十年以上も前、故郷を訪ねたときに、私もこの友人のほうと同じ立場だったことがある。「東京で、何しちょるんかね」と問われて、答えられなかった。話しを逸らした。会社が倒産したので無職だとは、とても言えなかった。『悲しみの庭』(2001)所収。(清水哲男)


August 2882001

 出穂の香のはげしく来るや閨の闇

                           波多野爽波

会で、穂高(ほたか)町(長野県南安曇郡)を訪れた。敗戦までは陸軍の練兵場として使われ、戦後になって開拓された土地だという。いかにも新興の田園地帯らしく、見渡すかぎりの水田のなかを走る道はまっすぐだ。有名な碌山美術館や山葵田などいろいろと見物して歩いたが、いちばん印象深かったのは黄色く色づきはじめた稲の発する香りだった。農村に育った私だが、すっかり忘れていた濃密な香りである。何度も腹いっぱい吸い込んできた。これだけでも、出かけてきた甲斐があると思った。爽波はこのとき大阪市内に住んでいたから、やはり旅先での印象だろう。「閨(ねや)」は、寝室。「出穂(でほ)」のころはまだ暑いので、網戸だけを閉めた部屋で寝ていると、風に乗った「出穂の香」が、予想外の濃密さで流れ込んできた。むせびたくなるほどだ。もはや「閨の闇」全体がその香で満たされ、胸を圧してくるようである。こうなると、なかなか眠れそうにない……。都会生活に慣れた人が田舎に出かけると、ときとして思いがけないことに遭遇する例の一つだ。でも、作者はこのことを煩わしく思ったのではない。眠れずに闇の中で目を開けながら、一方で充実した自然とともにある自分の状態に満足している。『一筆』(1990)所収。(清水哲男)




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