「『シュウカンシンチョー』ハ、アシタハツバイデース」。このCMがいつの間にか流れなくなった。




2001ソスN8ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2982001

 職名を明かさぬ友や蕎麦の花

                           新海あぐり

者は男性。俳号の「あぐり」は「Agriculture」から。農家の出だ。帰郷して辺りを散策していたら、古い友人にばったりと出会った。彼もまた、都会に出ていった一人だ。「やあ……」と久しぶりの邂逅に、立ち話となる。成り行きとして、いまどんな仕事をしているのかと問うと、話しを逸らされてしまった。言いたくないのだ。と、作者が気づいたときには、既に気まずい雰囲気となっている。所在なく遠くに目をやると、てんてんと白い「蕎麦の花」が咲いている。子供のころから見慣れた何でもない花なのだが、いつになく寂しい感じに見えたというのである。たいていの歳時記には「寂しげに見える花」と記述されているが、それは通行人の感覚であって、蕎麦を育てている地元の人々にとっては寂しいも何もない。句の眼目も、そこにあるのだろう。友人の不遇を感じて、はじめて「蕎麦の花」が寂しく見える花であることを知ったのだ。もう三十年以上も前、故郷を訪ねたときに、私もこの友人のほうと同じ立場だったことがある。「東京で、何しちょるんかね」と問われて、答えられなかった。話しを逸らした。会社が倒産したので無職だとは、とても言えなかった。『悲しみの庭』(2001)所収。(清水哲男)


August 2882001

 出穂の香のはげしく来るや閨の闇

                           波多野爽波

会で、穂高(ほたか)町(長野県南安曇郡)を訪れた。敗戦までは陸軍の練兵場として使われ、戦後になって開拓された土地だという。いかにも新興の田園地帯らしく、見渡すかぎりの水田のなかを走る道はまっすぐだ。有名な碌山美術館や山葵田などいろいろと見物して歩いたが、いちばん印象深かったのは黄色く色づきはじめた稲の発する香りだった。農村に育った私だが、すっかり忘れていた濃密な香りである。何度も腹いっぱい吸い込んできた。これだけでも、出かけてきた甲斐があると思った。爽波はこのとき大阪市内に住んでいたから、やはり旅先での印象だろう。「閨(ねや)」は、寝室。「出穂(でほ)」のころはまだ暑いので、網戸だけを閉めた部屋で寝ていると、風に乗った「出穂の香」が、予想外の濃密さで流れ込んできた。むせびたくなるほどだ。もはや「閨の闇」全体がその香で満たされ、胸を圧してくるようである。こうなると、なかなか眠れそうにない……。都会生活に慣れた人が田舎に出かけると、ときとして思いがけないことに遭遇する例の一つだ。でも、作者はこのことを煩わしく思ったのではない。眠れずに闇の中で目を開けながら、一方で充実した自然とともにある自分の状態に満足している。『一筆』(1990)所収。(清水哲男)


August 2782001

 小刀や鉛筆を削り梨を剥く

                           正岡子規

くらいの世代ならば、すぐに肥後守(ひごのかみ)を思い出すはずである。刃渡り十センチ少々の「小刀(こがたな)」だ。折込式の柄は鉄製か真鍮製で「肥後守」と銘を切ってあり、鉛筆を削るための学用品だった。鉛筆削り器なんて洒落れた物はなかったから、誰もが携行していた。子規の時代にもあったのかと調べてみたが、わからない。そんな鉛筆を削るための道具で梨を剥いたというだけの句だが、妙にこの「小刀」が生々しく感じられる。洗濯機で薯を洗うのと同じことで、機能的には何の問題もないのだけれど、衛生観念上でひっかかるからである。奥さんに林檎を剥かせるときに、剥いた部分には絶対に手を触れさせなかったという泉鏡花が現場を見たとしたら、真っ青になって失神しかねないほどの不衛生さだ。でも、子規は「こんなこと平気だい」とバンカラを気取っているのではなく、いつしか不衛生に感応しなくなっている自分に、あらためて感じ入っているのだと思う。局面を違えれば、誰にでも似たようなことはあるのではなかろうか。習い性となっているので、自分では何とも思わない振るまいが、他人の目には奇異に写るということが……。子規は、そんな自分のありようの一つを発見してしまったということだ。子規二十九歳。腰痛がひどくなった年だが、まだ外出はできた。(清水哲男)




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