住宅街を歩いていると、高校野球の経過がよくわかる時代があった。そんなに昔のことじゃない。




2001ソスN8ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1282001

 裏畑に声のしてゐる盆帰省

                           村上喜代子

日十三日から、月遅れの盂蘭盆会(うらぼんえ)。今日あたりは、ひさしぶりの故郷を味わっている人も多いだろう。長旅の疲れと実家にいる安堵感でぐっすりと眠っていた作者は、たぶんこの「声」で目覚めたのだろう。農家の人は朝が早いから、まだ涼しい時間だ。都会の生活では、まずこういうことは起きない。これだけでも「帰省」の実感がわいてくるが、その声の主が日頃はすっかり忘れていた人だけに、よけいに懐かしさがかき立てられた。「裏畑」のあるような狭い地域社会では、みんなが顔見知りである。だが、田舎を離れて暮らしているときには、その誰彼をいつも意識しているわけではない。ほとんどの人のことは忘れているのだけれど、こうやって「帰省」してみると、不意にこのようなシチュエーションで、その誰彼が立ち現れる。当たり前の話だが、これが故郷の味というものだ。昔と変わらぬ山河もたしかに懐かしいが、より懐かしさをもたらすのは、その社会で一時はともに生きた人たちだ。浦島太郎が玉手箱を開けてしまったのは、山河は同じで懐かしくても、まわりには誰も知らない人ばかりだったからである。作者は、これらのことを「声」だけで言い止めている。それぞれの読者に、それぞれの故郷を思い出させてくれる。この夏も、私の「帰省」はかなわなかった。『つくづくし』(2001)所収。(清水哲男)


August 1182001

 新涼や吉永小百合ブルー・ジーン

                           中村哮夫

になって感じる涼しさが「新涼(しんりょう)」。単に「涼し」と言うと、夏の暑さのなかで涼気を感じる意味なので夏の季語である。作者は東宝撮影所、同演劇部を経た舞台演出家。したがって、掲句はテレビや映画を見ての句ではなく、実景を詠んだものだろう。作句年代からすると、つい数年前の吉永小百合だ。昔から涼しげなイメージの女優であり、しかもラフな「ブルー・ジーン」姿なのだから、なるほど「新涼」にはぴったりだと思った。他に思いつく女優の名前をいくつかランダムに当てはめてみたけれど、小百合以上にしっくりとくる人はいなかった。もっとも、これは昔のいわゆる「サユリスト」の贔屓(ひいき)目かもしれず、鑑賞の客観性にはさほど自信がない。でも、ま、いいか……。彼女を一躍スターにした映画は浦山桐郎監督の『キューポラのある街』(1962・日活)であり、貧乏にもめげず明るくしっかりした性格の少女役を演じていた。すっかりファンになってしまった私は、大学新聞の文化面に「吉永小百合の不可能性」なる批評文を書いたのだったが、このタイトル以外は何も覚えていない。「可能性」ではなく「不可能性」とやったところに、なまじな「サユリスト」とは違うんだぞという生意気さが感じられる。そんなことも思い出した。句に固有名詞を詠み込むのは、それこそ客観性に乏しくなる危険性を孕むので、なかなかに難しい。私にはしっくり来たが、他の読者にはどうであろうか。『中村嵐楓子句集』(2001)所収。(清水哲男)


August 1082001

 あかあかと日は難面もあきの風

                           松尾芭蕉

陸金沢は、秋の納涼句会での一句。『おくのほそ道』に出てくる有名な句だ。「難面」は「つれなく」と読む。納涼句会だから、夕刻の句だろう。暦の上では秋に入ったけれど、日差しはまだ真夏のように「あかあかと」強烈である。それも、暦の上の約束事などには素知らぬ顔の「つれなさ」(薄情な風情)だ。しかし、こうやって真っ赤に染まった残照の景色を眺めていると、吹いてくる風にはたしかに秋の気配が漂っている。どこかに、ひんやりとした肌触りを感じる。残暑の厳しいときには、誰しもが感じる日差しと風の感覚的なギャップを巧みに捉えている。ここで思い出すのは、これまた有名な藤原敏行の和歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」だ。発想の根は同じだが、芭蕉句のほうが体感的には力強くあざやかである。逆に、敏行は繊細かつ流麗だ。このあたりは、二人の資質の差の故もあるだろうが、俳句と短歌の構造的な違いから来ているようにも思われる。とまれ「日は難面も」の日々は、いましばらくつづいてゆく。東京あたりでの秋が「さやかに」見えてくるまでには、あと一ヶ月ほどの時日を要する。(清水哲男)




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