甲子園予選。昔は、母校の試合を追っかけてよく見た。カンカン照りの下、熱燗麦酒を舐めながら。




2001ソスN7ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1972001

 「実入れむ実入れむ」田を重くする蝉時雨

                           和湖長六

わゆる「聞きなし」である。鳥のさえずりなどの節まわしを、それに似たことばで置き換えることだ。地方によっても違うだろうが、たとえばコノハズクの「仏法僧」、ホオジロの「一筆啓上仕り候」、ツバメの「土喰うて虫喰うて口渋い」、コジュケイの「ちょっと来い、ちょっと来い」などが一般的だろう。米語にもあるようで、コジュケイは「People pray」だと物の本で知った。日本人のある人には「かあちゃん、こわい」としか聞こえないそうだ(笑)。このように、鳥の「聞きなし」は普通に行われてきたが、掲句のような蝉のそれには初めてお目にかかった。「蝉時雨」だから何蝉ということではなく、作者には集団の鳴き声が「実入れむ実入れむ」と聞こえている。青田を圧するように鳴く蝉たちの声を聞いているうちに、自然にわき上がってきた言葉だから、無理がない。それにしても、こんなにも連日やかましく「実入れむ」と激励されるとなると、いよいよ田の責任は重大だ。「田を重くする」は、そんな田の心情(!)と、田を押さえつけるような蝉時雨の猛烈さとを、諧謔味をまじえて重層的に表現していて納得できる。この夏、信州に行く。あの一面の青田に出会ったら、きっとこの句を思い出すだろう。はたして「実入れむ」と聞こえるかどうか。楽しみだ。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)


July 1872001

 青草をいつぱいつめしほたる籠

                           飯田蛇笏

読、微笑を誘われた。そして、思い出した。子供の頃にホタルを採るのはよいとして、心配だったのは「ほたる籠」に入れた後のホタルの世話である。ぜんたい、何を食べるのかもわからない。子供にホタルの光を観賞しようというような風流心は希薄だから、採ったらずうっと飼う気持ちなのである。飼うためには、どんなことをすればよいのか。大人に聞いてみても、無情に「はて……」などと言う。ノウハウがない。仕方がないので、そのうちに、ホタルのいる環境を「ほたる籠」のなかに作ってやることを思いつく。私の場合も適当に青草を敷いて、少し水を含ませた。句の子供はまだ小さいから、お兄ちゃんたちの見よう見真似で敷いたのはよいが、青草をぎゅう詰めにしてしまっている。でも、得意満面だ。おいおい、それではホタルを入れられないよと、作者は苦笑もし微笑も浮かべているのである。一つ一つ、こんなことを経験しながら、子供は育っていく。作者も、おそらくは遠い日のことを思い出しているのだろう。季語は「ほたる(蛍)」ではなく「ほたる籠(蛍籠)」。私のころは、竹製のものが多かった。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)


July 1772001

 浜田庄司旧居の巨き冷蔵庫

                           辻 桃子

某の人となりを偲ぶというときに、業績ばかりではなく遺品も一つの手がかりとなる。故人を顕彰した記念館などに行くと、愛用した品々が展示されている。作家なら原稿用紙とか万年筆だとか、画家ならイーゼルとか絵筆の類だとか。それらもむろん興味深いが、句のようにさりげない生活道具もまた、故人の人となりを雄弁に物語る。故人がこの「巨き冷蔵庫」を気に入っていたかどうか、いや意識していたかどうかもわからないけれど、日常を共にしていたのは確かなことだから、いわゆる愛用品よりも生々しい手がかりとして迫ってくる。「浜田庄司」は陶芸家。バーナード・リーチとの親交や柳宗悦らと民芸運動を推進したことでも知られる。大正末期より益子(栃木県)に定住して、素朴な益子焼の味を生かし、質朴雄勁な作風を確立した。その作風と「巨き冷蔵庫」に、作者は通じるものを感じて、この句を得たのだろう。私は一度だけ、三十年ほど前に益子を訪ねたことがある。浜田庄司邸は見晴らしの良い土地に建っており、大きくて庄屋の家みたいだなと思った記憶がある。存命だったから、家のなかに「巨き冷蔵庫」が置かれているなどは知る由もなかった。いま調べてみたら、没くなったのは1978年(昭和五十三年)のことだった。『花』(1987)所収。(清水哲男)




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