不意に梅雨が明けた。季節にもメリハリがなくなったのか。井戸水で冷やした真桑瓜が食べたいな。




2001ソスN7ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1272001

 木に登る少年は老い夏木立

                           三宅やよい

い木陰をつくり、群れ立っている夏の木々。葉が茂っているので下からは姿がよく見えないのだが、その一本に少年が登っている。なんだか、このまま彼が下りてこないような感じを受けたのだろう。木の上では猛烈なはやさで時間が過ぎていて、登った少年もあっという間に年をとってしまう……。という、夏の真昼時の幻想だ。この句に出会って、もうずいぶんと木に登ってないなと思った。少年時代には、退屈すると登った。適当な枝に腰掛けて脚をぶらぶらさせ、青葉のかげから遠くを見ていた。たまに下を通る人がいると、何故だか知らないが、気がつかれないように身を小さくしたものだった。柿の木は折れやすいので登ってはいけないと知りながらも、おっかなびっくり登るスリルも楽しんだ。本当に、枝といっしょに落っこっちゃった不運な友もいたけれど……。木の上に暮らしていたハックルベリー・フィンじゃないが、あそこには地上とは別の魅力的な世界がある。地面からほんのわずか浮き上がっただけなのに、子供でも(子供だからか)人生観が変わったような気にすらなる。私などもはや木に登ることもあるまいが、いま登ったとしたならば、たまさか通りかかった誰かは、どんな句に仕立ててくれるだろうか。ま、その前に、おせっかいな誰かが飛んでくるのだろう。そういえば、どなたか俳句の「モデル」になったことはありますか。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


July 1172001

 父ひとりゆく日盛りの商店街

                           廣瀬直人

独の肖像。偶然に、後ろ姿を見かけたのだろう。アーケードがなかった頃の「日盛りの商店街」は、さすがに人通りも少ない。そんなカンカン照りのなかを、老いた父親がひとりで歩いている。それでなくとも男に昼間の商店街は似合わないのに、何か緊急の買い物でもあるのだろうか。それとも、この通りを抜けて行かざるを得ない急ぎの用事でもできたのか。呼び止めるのもためらわれて、作者はそこで目を伏せたにちがいない。それこそ用事もないのに、次の角を曲がったか。えてして、男同士の親子とはそんなものである。だから、この「父」の姿は多くの男性読者の父親像とも合致するだろう。その意味で、作者の単なる個人的なとまどいを越えて、掲句は説得力を持ちえている。この父親像は、今日も確実に各地の「商店街」に存在している。ただし、句集を読めばわかることだから書いておくが、作者がなぜこの句を詠んだのかには抜き差しならぬ事情があったのだ。作者の妹である「父」の娘が、少し前に産児とともに急逝したという事情である。「青嵐葬場に満ち母と子焼く」など作者痛恨の十句あり。そうした事情があってのこの句なのだが、しかし、作者が目撃した「父」の事情は、あるいはこの事態とはかけはなれていたかもしれない。が、妙な忖度などせずに、すっと「父」の後ろ姿に目を伏せるのが、私の愛する表現を使えば「人情」というものである。『帰路』(1972)所収。(清水哲男)


July 1072001

 籐椅子の家族のごとく古びけり

                           加藤三七子

具店に陳列してある「籐椅子(とういす)」は別にして、私などのこの椅子のイメージは、いつも「古び」ている。旅先での宿に置いてあったりするが、坐るとぐにゃりと曲がったり、よく見ると織り込んである籐の茎があちこち切れていたりする。一種のぜいたく品だから、そうそう買い替えるわけにもいかないのだろう。ましてや、普通の家庭では買うこともままならない。というよりも、買おうという発想すら浮かばない。したがって、私が掲句から得たいちばんのものは、句には書かれていないところである。すなわち「籐椅子」を日常の家具として使えるような、作者の家の暮しぶりへと自然に関心が行ってしまった。その上での「家族のごとく」なのだからして、私の知る数少ない良家の「家族」のありように思いをめぐらし、なんとなくでしかないが、この比喩に納得できたような気はする。静かに「古び」ていく家族の一人として、作者は「籐椅子」に腰かけながら、この椅子が新しかったころの家の活気を回想しているのだと想像した。もう、あの元気な「家族」との楽しかりし日々は戻ってこないのである。もっとも、これは私の思い過ごしで「籐椅子にさまで哀しきはなしにあらず」(高橋潤)なのかもしれないが……。『萬華鏡』(1975)所収。(清水哲男)




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