ケアレス・ミスが続いた。ここで踏ん張らないとずるずるっと落ちていきそうだ。正念場かもね…。




2001ソスN7ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1172001

 父ひとりゆく日盛りの商店街

                           廣瀬直人

独の肖像。偶然に、後ろ姿を見かけたのだろう。アーケードがなかった頃の「日盛りの商店街」は、さすがに人通りも少ない。そんなカンカン照りのなかを、老いた父親がひとりで歩いている。それでなくとも男に昼間の商店街は似合わないのに、何か緊急の買い物でもあるのだろうか。それとも、この通りを抜けて行かざるを得ない急ぎの用事でもできたのか。呼び止めるのもためらわれて、作者はそこで目を伏せたにちがいない。それこそ用事もないのに、次の角を曲がったか。えてして、男同士の親子とはそんなものである。だから、この「父」の姿は多くの男性読者の父親像とも合致するだろう。その意味で、作者の単なる個人的なとまどいを越えて、掲句は説得力を持ちえている。この父親像は、今日も確実に各地の「商店街」に存在している。ただし、句集を読めばわかることだから書いておくが、作者がなぜこの句を詠んだのかには抜き差しならぬ事情があったのだ。作者の妹である「父」の娘が、少し前に産児とともに急逝したという事情である。「青嵐葬場に満ち母と子焼く」など作者痛恨の十句あり。そうした事情があってのこの句なのだが、しかし、作者が目撃した「父」の事情は、あるいはこの事態とはかけはなれていたかもしれない。が、妙な忖度などせずに、すっと「父」の後ろ姿に目を伏せるのが、私の愛する表現を使えば「人情」というものである。『帰路』(1972)所収。(清水哲男)


July 1072001

 籐椅子の家族のごとく古びけり

                           加藤三七子

具店に陳列してある「籐椅子(とういす)」は別にして、私などのこの椅子のイメージは、いつも「古び」ている。旅先での宿に置いてあったりするが、坐るとぐにゃりと曲がったり、よく見ると織り込んである籐の茎があちこち切れていたりする。一種のぜいたく品だから、そうそう買い替えるわけにもいかないのだろう。ましてや、普通の家庭では買うこともままならない。というよりも、買おうという発想すら浮かばない。したがって、私が掲句から得たいちばんのものは、句には書かれていないところである。すなわち「籐椅子」を日常の家具として使えるような、作者の家の暮しぶりへと自然に関心が行ってしまった。その上での「家族のごとく」なのだからして、私の知る数少ない良家の「家族」のありように思いをめぐらし、なんとなくでしかないが、この比喩に納得できたような気はする。静かに「古び」ていく家族の一人として、作者は「籐椅子」に腰かけながら、この椅子が新しかったころの家の活気を回想しているのだと想像した。もう、あの元気な「家族」との楽しかりし日々は戻ってこないのである。もっとも、これは私の思い過ごしで「籐椅子にさまで哀しきはなしにあらず」(高橋潤)なのかもしれないが……。『萬華鏡』(1975)所収。(清水哲男)


July 0972001

 山風を盆地へとほす葭障子

                           藤田直子

かにも涼しそうだ。実際にはどうであれ、座敷などに「葭障子(よししょうじ)」が建てつけてあるだけで、涼味を誘う。その涼味をあらわすのに、山からの風を「盆地へとほす」(ようだ)と大きく張ったところが素晴らしい。かりに「葭障子」の発明者がいるとして、掲句を読んだら、ここに本意きわまれりと感激するにちがいない。網戸や簾(すだれ)、暖簾(のれん)などもそうだし、夏料理にしてもそうだが、湿気の多い日本の夏を少しでも涼しく過ごすための工夫は、一つ一つを考えてみると、実に面白くもあり感心もさせられる。現今の暴力的な冷房装置とは違い、五感すべてをフルに動員してこその涼味が、そこにある。人間をも含めた自然との親和的な交感が、具体的に表現されている。「葭障子」の近代版は網戸と言えようが、波多野爽波にこんな愉快な句がある。「網戸越し例の合図をしてゆける」。網戸は表から室内が丸見えになっているようでいて、さにあらず。むろん昼間にかぎるが、表のほうがよほど明るいので、表からは中がよく見えない。その見えない薄暗がりに向けて、「今夜は例のところで一杯やろうぜ」などと「合図」を送ってきた悪友の姿がほほ笑ましい。私生活がほんのりと表に開かれていた時代のほうが、私は好きだな。『極楽鳥花』(1997)所収。(清水哲男)




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