「週刊読書人」が全集特集。私が最初に買ったのは、河出書房版文学全集「芥川龍之介集」だった。




2001ソスN7ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0372001

 枇杷すする母は手首に輪ゴムはめ

                           沢村和子

い物をすると、何でもかでも包装紙の上から「輪ゴム」をかけて渡す時代があった。文庫本でも二冊以上買うと、ぱちんと輪ゴムでとめてくれた。そうした輪ゴムは捨てないでとっておき、再利用したものである。ただ粗悪品が多かったので、せっかくとっておいても、使うときには切れてしまうこともしばしばだった。ちなみに、掲句は1956年(昭和三十一年)の作。母親が買い物の折りに、出回りはじめた枇杷(びわ)を買ってきてくれたのだろう。作者といっしょにおやつとして食べているのだが、母親の手首にはいま外したばかりの輪ゴムがとりあえず「はめ」られており、後でしかるべき場所に保管するのだ。枇杷を「食べる」のではなく「すする」という表現とともに、ゆっくりとおやつを味わうヒマもない母親の姿が活写されている。極端に言えば、中腰でのおやつ時という印象。よく働いた昔の母親像を、これだけの道具立てで描いてみせた作者の腕前は相当なものである。この句から十六年後に「風鈴や湖わたりくる母菩薩」の一句がある。合わせて読むと、ひどく切ない。そしてその三年後には「藤房の死にとどきつつさがりけり」と……。私の知るかぎり、これが沢村和子最後の作品である。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)


July 0272001

 半夏生子の用ゆえにみだしなみ

                           神村睦代

至から数えて十一日目の今日が「半夏生(はんげしょう)」だ。と言われたって、俳人以外は、もはや誰も知りはしないだろう。知らなくても何の差し支えがあるわけでもないけれど、暁に天より毒気降る日だそうだから、好奇心がわいた。さっそく、事典を引く。「太陽の位置が黄経100度にあるときと定義されているが、暦のうえの入梅は80度、夏至は90度であるから、半夏生は夏至を挟んで、入梅と対称の位置にあるときにあたり、陽暦では7月2日ごろとなる。半夏はドクダミ科の多年草で、別名カタシログサ。水辺や低湿地に生え、一種の臭気をもつ。その半夏が生えるころという意味である。昔の農事暦では、このころまでに田植を終えるとされていた。迷信的暦注としては、この日毒気が降るので、『前夜から井戸や泉に蓋(ふた)をすべし』といわれた。〈根本順吉〉」。青字で示した部分が、農事での実用的な眼目だろう。今日は、田植のギリギリの締切日だったのだ。もっとも「半夏」は「カラスビシャク(烏柄杓)」の漢名とするほうが正しい。「カタシログサ(片白草)」の場合は、「半夏」と区別して「半夏生(草)」という名前だ。ところで掲句の「半夏生」は、本意に添った用法ではない。蒸し暑い時期という雰囲気的な使い方だと思うが、ひょっとすると「半化粧」に掛けたのかな。子供のための用事とは、PTAの会合あたりか。担任の教師や他の母親にも、だらしない印象は与えられない。迷惑するのは、子供だと思うからこその「みだしなみ」である。しかしこの有難き母心にも、ときに謀反を覚える子供心を、世の母者びとらは知り給うや。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


July 0172001

 七月や既にたのしき草の丈

                           日野草城

半ばに梅雨が明けると、いよいよ夏の盛りが訪れる。下旬には、子供らの夏休みもはじまる。暑さも暑しの季節だが、自然的にも人事的にも他の月とは違い、「七月」は活気溢れるイメージに満ちた月だ。掲句は「既にたのしき」とあるから、まだ盛夏ではなく、新しく今月を迎えたばかりの感慨である。ぐんぐんと伸びつづける「草の丈」に、夏の真っ盛りも近いと感じ、しかも技巧的にごちゃごちゃと細工したりせずに、素朴に「たのしき」と言い止めたところが素晴らしい。この句を読んだ人はみな、庭などの「草の丈」をあらためて見てみたくなるだろう。晩年に近い長期療養中の作句であるが、作者自身の生命力のありようも伝わってくる。まだ若くて元気なころの句に「七月のつめたきスウプ澄み透り」があるけれど、モダンで美々しくはあっても、むしろ生命力の希薄さを覚えさせられる。「七月」という言葉の必然性も、体感的には希薄だ。すなわち、健康な人はついに健康を対象化できないということか。その必要もないからと言えばそれまでだし、たぶんそういうことなのだろうが……。『人生の午後』(1953)所収。(清水哲男)




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