町角で旧友と偶会。もちろん飲み屋へ直行。彼とはかつてパリの地下鉄で「偶会」したこともある。




2001ソスN6ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2862001

 辻があり輓馬と螢入れかはる

                           柿本多映

い荷を積んだ車を、あえぎながら馬がひいていく。その「輓馬(ばんば)」が向こうの四つ辻にようやく姿を消すと、かわって軽やかにもふうわりと一匹の「螢」が出現した。静かだが、なかなかにドラマチックな交代劇である。「輓馬」だから、サラブレッドのようにスタイルがよいわけでもないし、しかも汗みどろだ。見ているだけで暑苦しくなる馬と、見ているだけで涼感を覚える蛍との「入れかは」りである。どこかから、涼しい風が吹いてくるような感じがする。そして、句の眼目はここに止まらないだろう。「輓馬」が見えているのだから、あたりはまだそんなに暗くはない。ところが「入れかはる」蛍の光が見えるとなれば、あたりはそんなに明るくはない。というよりも、もはや真っ暗闇に近い。すなわち、この交代劇は「辻」をいわば時間軸に見立てた昼と夜のそれなのでもあった。このことを踏まえて深読みすれば、私たちの日々の生活の「疲弊」と「安息」の「入れかは」るときを、抒情的に暗示してみせた句だとも読める。『花石』(1995)所収。(清水哲男)


June 2762001

 梅雨と書き陳者と書き嫌になりぬ

                           永作火童

礼的な手紙か、商用の挨拶文だろうか。とにかく、紋切り型の手紙を書く必要が生じた。そこで「梅雨の候時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます」などと時候の挨拶を書き、さて「陳者(のぶれば)」と本題に入るところで「嫌に」なってしまつた。よくあることだが、梅雨期の鬱陶しさも手伝うので、「梅雨」と書くだけでも「嫌に」なった気持ちがよく出ている。紋切り型の手紙文は親しくもない相手にも、欠礼することなく何事かを伝えられて便利だが、個人的な感情や感覚の披歴ができないので、おのずから書き手の存在は希薄になる。受け取るほうも同じことで、まず隅から隅まで丹念に読むことはしない。お互いにそれがわかっていても、なおこの種の手紙が必要なのは、自己を希薄にしての人間関係が実は社会生活の大元を占めているからだろう。手紙の作法はもちろん、その他の礼儀作法にしても、希薄な人間関係を希薄なままに保つ知恵の一つと言ってもよいと思う。そんな表面的な礼儀など知るものかと、放り出すことも可能だ。簡単だ。だが、世の希薄な人間関係は、放り出した人間にも常に希薄な関係を迫ってくる。どのようにか。ここで我が若き日の苦い体験を思い出して、それこそ「陳者」と披露したいところだが、私もだんだん「嫌に」なってきたので、これにて失礼。早々頓首。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997・角川mini文庫)所載。(清水哲男)


June 2662001

 病みし馬緑陰深く曳きゆけり

                           澁谷 道

したたる明るい青葉の道を、一頭の病み疲れた馬が木立の奥「深く」へと曳かれてゆく。情景としては、これでよい。だが「曳きゆけり」とあるからには、力点は馬を曳いている人の所作にかかっている。つまり、緑の「健康」と馬の「不健康」の取り合わせの妙味ではなく、眼目は曳き手が馬をどこに連れていき、どうしようとしているのか、それがわからない不気味さにある。「緑陰深く」曳かれていった馬は、これからどうなるのだろうか。謎だ。謎だからこそ、魅力も生まれてくる。句は、そんな不安が読者の胸によぎるように設計されている。ずっと気にかかってきた句だが、近着の「俳句」(2001年7月号)に、作者自身の掲句のモチーフが披露されていて、アッと思った。当時の作者は医師になるべく勉強中で、インターンとして働いていた。「舞鶴港に上陸した多数の傷病帰還兵の人々が送り込まれ、カルテを抱えて病棟の廊下を小走りに右往左往する日々の只管痛ましい思いの中で詠んだ句であった」。すなわち、作者は「緑陰深く」に何があって、そこでどういうことが起きるのかを知っていたわけだ。句だけを読んで、誰もこの事情までは推察できないだろうが、謎かけにはちゃんと答えの用意がなければ、その謎には力も魅力もないのは自明のことである。『嬰』(1966)所収。(清水哲男)




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