昨日から湿った風が吹いている。そろそろ梅雨入りでしょうか。近所の紫陽花は間もなく咲きます。




2001ソスN6ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0562001

 母と子の生活の幅の溝浚ふ

                           菖蒲あや

句は、日常生活のレポート的側面を持つ。だから興味深いところがある反面、「だから」わからないところも出てくる。掲句はいわゆる「ドブさらい」を詠んでいるが、下水道が発達した現在では「ドブ」そのものが姿を消してしまった。もう二十年ほども前、泉麻人に「東京はドブの匂いがしなくなりましたね」と言われたことを覚えているので、いまの二十代くらいの人の大半にとっては、もはや理解不能な句ではあるまいか。そういう読者のために、句の載っている『俳諧歳時記・夏』(新潮文庫)の解説を丸写ししておく。「夏になって溝に汚水がたまると、蚊が発生したり、不潔な匂いを発生したりするので、近所の人達が集まって掃除をする。定期的にやるところもある。涼しい朝のうちに、主婦たちが集まって、何かと話に興じながら清掃する」。傍観者には、いわば夏の朝の風物詩。主婦にとっては、井戸端会議ならぬ「ドブ端会議」の場であった。ドブはごく細い溝だから、みんなで清掃すると言っても、自宅前のドブを浚えばよいわけだ。それを作者は「生活(たつき)の幅」と言い止めた。すなわち、「母と子」だけが暮らすささやかな家の前のドブは短い、と。物事には、実際に携わってみないとわからないことが、たくさんある。傍観者には詠めない句である。(清水哲男)


June 0462001

 つかみ合子供のたけや麦畠

                           垂葉堂游刀

来の作という説もある。それにしても「垂葉堂游刀(すいようどう・ゆうとう)」とは、ユニークな名前だ。能楽師。見事に伸び揃った麦の畑で、二人の子供が取っ組み合いの喧嘩をしている。「子供のたけ」は麦のそれくらいというのだから、小さな子供らだ。この喧嘩、放っておいても大事にいたる心配はない。むしろ元気があって大いによろしいと、作者は微笑している。この元気が麦の元気と照応して、今年もよく実った麦の出来を素直に喜ぶ気分が溢れ出た。この句について山本健吉は「裏に麦ぼめの伝統が生きていよう」と指摘しているが、江戸期の読者ならうなずけるところだろう。「麦ぼめ」とは「正月二十日。麦とろを食べてから麦畑に出て、麦をほめる唱え言をする風習。中国地方の山間部などに残る」と、『広辞苑』にある。現代の園芸でも、褒め言葉を声に出しながら花を育ててやると、より奇麗に咲くという話はよく聞く。ましてや、麦作は農家の生命線だ。風習としての「唱え事」も、さぞかし熱を帯びていたにちがいない。一見形骸化したような言葉でも、しかるべきシチュエーションで実際に口に出してみると、にわかに実質を取り戻すから不思議だ。この場合の実質は「いつくしみの心」である。『猿蓑』所収。(清水哲男)


June 0362001

 床下を色鯉の水京の宿

                           桂 信子

語は「色鯉」。緋鯉や錦鯉など、金魚と同様に涼味を呼ぶことから夏の季語とされてきた。京都には都合六年間ほど住んだが、祇園辺りの「京の宿」のたたずまいならばともかく、門の内側の世界はまったく知らない。当たり前だ。そういうところに宿泊する必要がないのだから、何十年暮らそうとも、地元の人は宿屋と縁のあろうわけがない。その京都時代に、吉井勇の「かにかくに祇園は恋し寝(ぬ)るときも枕の下を水のながるる」を知り、ああそんな構造になっている宿もあるのかと、祇園を通りかかるとき、ふとこの歌のことを思ったりした。粋なのか、はたまた演出過剰気味なのか。実際を知らないのだから何とも言えないが、掲句を見るとなかなかに心地よい造りのようだ。床下に水が流れ「色鯉」が流れていると想像するだけで、作者のいる部屋空間がこの世からちょっと浮き上がっているように思える。思っているうちに、この「色鯉」が自然に水の流れのように「色恋」にも通じていく。作者の実際は知らねども、しかしこのときの「色鯉(色恋)」はあくまでも「床下」にあるのであって、句における作者は一人である。その一人がいまここでこうして浸っているのは、一人ではなかったかつての「京の宿」の想い出ではなかろうか。『彩』(1990・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)




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