「芸術新潮」6月号の「バルテュス」特集。彼の絵には俳句と共振する無名のポエジーが流れている。




2001ソスN5ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2852001

 茄子転がし妻の筆算声に出づ

                           米沢吾亦紅

方、買い物から帰ってきた妻が、買ったものの総額を計算している。昔は、現代のスーパー・マーケットのようにレシートをくれるわけではないので、値段を忘れないうちに計算しておく必要があった。後で、家計簿に転記するためだ。その「忘れないうちに」の緊急性が「茄子転がし」によく言い止められている。買い物篭から茄子が転がり出るほどだから、買い物の量も普段より多かったにちがいない。それをパッパッと手早く正確に計算するには、「ええっと、137円足す258円は……」のように声を出しながら確認するほうがやりやすい。べつに妻が計算が苦手というのではなく、経験から自然に出てきた知恵なのである。なんでもない情景だが、夕刻の主婦の忙しさを描いて秀逸だ。同時に、日々事もなき平和な家庭の雰囲気も漂ってくる。男性版「台所俳句」というところ。最近はパソコン用の家計簿も出回っており、ずいぶんと記帳も楽になったはずだが、レシートがもらえるだけに、かえってその日のうちに記帳する人は減ったかもしれない。何日分かをまとめて打ち込もうと思っているうちに、レシートは溜まる一方。なんてことになっているのは、あながち我が家だけとも思えないのですが。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


May 2752001

 黄金の蓮へ帰る野球かな

                           摂津幸彦

者は「蓮」を「はちす」と古名で読ませている。この句に散文的な意味を求めても、無意味だろう。求めるのはイメージだ。そのイメージも、すっと目に浮かぶというようなものではない。「黄金の蓮」はともかく、句の「野球」は視覚だけでは捉えられないイメージだからだ。強いて定義するならば、全体のどの一つが欠けても、野球が野球として成立しなくなる全ての「もの」とでも言うべきか。ここには人や用具や球場の具体も含まれるし、ルールや記録の概念も含まれるし、プレーする心理や感情の揺れや、むろん身体の運動も含まれている。その「野球」の一切合切が「黄金の蓮」へと帰っていくのだ。帰っていく先は、すなわち蓮の花咲く極楽浄土。目には見えないけれど、作者は全身でそれを感じている。句作の動機は知る由もない。が、たとえば生涯に二度と見られそうもない良いゲームを見終わった後の感懐か。試合の余韻はまだ胸に熱いが、もはやゲームが終わってしまった以上、その「野球」は永遠に姿を消してしまう。死ぬのである。いままさにその「野球」の全てが香気のように立ちのぼつて、この世ならざる世界に帰っていくところだ。いまひとつ上手に解説できないのは口惜しいが、好ゲームが終わって我ら観客が帰るときに、ふっと胸中をよぎる得も言えぬ満足感を、あえて言語化した一例だと思った。『鳥屋』(1986)所収。(清水哲男)


May 2652001

 汗ばみて加賀強情の血ありけり

                           能村登四郎

かっているのだ。わかってはいても、つい「強情」を張り通してしまう。気質かなあと、作者は前書きに「金沢はわが父の生地」と記した。傍目からすれば、強情は損と写る。何もつまらないことで意地を張る必要はあるまいにと、見える。このあたりが人間の不可解さで、強情を張る当人は必死なのだ。それもわかりながらの必死なのだから、すこぶる厄介である。江戸っ子のやせ我慢なども同類で、気質には地域的な歴史や環境にも大いに影響されるという説もあるけれど、加賀や江戸の人すべてが強情でないことも明らかだ。負けず嫌いや一本気な人はどこの土地にもいるし、負けるが勝ちさと嘯く人だってどこにでもいる。そんなことはわかっているのだが、しかし自分の強情癖は直らない。我と我が気質をもてあましつつ、とりあえず三十代の作者は、血の地方性に寄りかかってみたかったという句だろう。ちなみに、自身は東京生まれである。作者の能村登四郎氏は、一昨日(2001年5月24日)九十歳で亡くなられた。敗戦後まもなくの句に「長男急逝六歳」と前書された「逝く吾子に万葉の露みなはしれ」という痛恨の一句がある。半世紀ぶりにお子さんと会えたならば、さすがの強情も出てこないだろうとは思うけれど……。合掌。『人間頌歌』(1990・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)




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