三本間に挟まれた赤星(阪神)の走塁はよかった。めったに見られない。ちゃんと野球をやってる。




2001ソスN5ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2752001

 黄金の蓮へ帰る野球かな

                           摂津幸彦

者は「蓮」を「はちす」と古名で読ませている。この句に散文的な意味を求めても、無意味だろう。求めるのはイメージだ。そのイメージも、すっと目に浮かぶというようなものではない。「黄金の蓮」はともかく、句の「野球」は視覚だけでは捉えられないイメージだからだ。強いて定義するならば、全体のどの一つが欠けても、野球が野球として成立しなくなる全ての「もの」とでも言うべきか。ここには人や用具や球場の具体も含まれるし、ルールや記録の概念も含まれるし、プレーする心理や感情の揺れや、むろん身体の運動も含まれている。その「野球」の一切合切が「黄金の蓮」へと帰っていくのだ。帰っていく先は、すなわち蓮の花咲く極楽浄土。目には見えないけれど、作者は全身でそれを感じている。句作の動機は知る由もない。が、たとえば生涯に二度と見られそうもない良いゲームを見終わった後の感懐か。試合の余韻はまだ胸に熱いが、もはやゲームが終わってしまった以上、その「野球」は永遠に姿を消してしまう。死ぬのである。いままさにその「野球」の全てが香気のように立ちのぼつて、この世ならざる世界に帰っていくところだ。いまひとつ上手に解説できないのは口惜しいが、好ゲームが終わって我ら観客が帰るときに、ふっと胸中をよぎる得も言えぬ満足感を、あえて言語化した一例だと思った。『鳥屋』(1986)所収。(清水哲男)


May 2652001

 汗ばみて加賀強情の血ありけり

                           能村登四郎

かっているのだ。わかってはいても、つい「強情」を張り通してしまう。気質かなあと、作者は前書きに「金沢はわが父の生地」と記した。傍目からすれば、強情は損と写る。何もつまらないことで意地を張る必要はあるまいにと、見える。このあたりが人間の不可解さで、強情を張る当人は必死なのだ。それもわかりながらの必死なのだから、すこぶる厄介である。江戸っ子のやせ我慢なども同類で、気質には地域的な歴史や環境にも大いに影響されるという説もあるけれど、加賀や江戸の人すべてが強情でないことも明らかだ。負けず嫌いや一本気な人はどこの土地にもいるし、負けるが勝ちさと嘯く人だってどこにでもいる。そんなことはわかっているのだが、しかし自分の強情癖は直らない。我と我が気質をもてあましつつ、とりあえず三十代の作者は、血の地方性に寄りかかってみたかったという句だろう。ちなみに、自身は東京生まれである。作者の能村登四郎氏は、一昨日(2001年5月24日)九十歳で亡くなられた。敗戦後まもなくの句に「長男急逝六歳」と前書された「逝く吾子に万葉の露みなはしれ」という痛恨の一句がある。半世紀ぶりにお子さんと会えたならば、さすがの強情も出てこないだろうとは思うけれど……。合掌。『人間頌歌』(1990・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


May 2552001

 四百の牛掻き消して雹が降る

                           太田土男

事で出かけたグランド・キャニオンで、猛烈な雹(ひょう)に見舞われたことがある。鶏卵大と言うと大袈裟だが、少なくとも大きなビー玉くらいはあった。そいつが一天にわかに掻き曇ったかと見るや、ばらばらっと叩きつけるように降ってきた。やばいっ。幸い近くにあったモーテルに逃げ込み、持っていた8ミリカメラを夢中で回した。あのときのフィルムは、まだ家のどこかにあるはずだが……。降っていた時間は、せいぜい十分ほどだったろうか。止むとすぐに、嘘のような青空が広がった。歳時記などで「雹」の解説を見ると、人畜に危険なこともあると書いてあるが、本当だ。掲句の舞台はむろん国内で、自註によると栃木の牧場である。日本でも、こんなに猛烈な雹が降る土地があるとは知らなかった。「四百の牛」とはほぼ実数に近いとも読めるが、私は「たくさんの牛」と読んだ。「四百四病」「四百余州」と言うように、「四百」は多数も意味する。そのたくさんの牛たちが、いっせいに見えなくなるほどに降るとは、なんたる豪快さ。恐いというよりも、むしろ小気味のよい降りだったろう。自然を満喫するとは、こういうことに違いない。身辺雑記的人事句も悪くはないが、このような句に「掻き消され」てしまうのは止むを得ないところである。『太田土男集』(2001)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます