♪メリーさんの羊 めえめえ羊…。エジソンが、蓄音機の試作品第一号機に吹き込んだのはこの曲。




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May 1852001

 郭公や寝にゆく母が襖閉づ

                           廣瀬直人

公(かっこう)が鳴いているのだから、昼間である。外光はあくまでも明るく、郭公がしきりに鳴いている。この好日に、老いて病身の母はとても疲れた様子だ。「少し休みたい……」と言い、次の間に「寝に」立った。そろりそろりと、しかしきっちりと、作者の前で「襖(ふすま)」が閉められる。たかが襖ではあるけれど、きっちりと閉められたことにより、残された作者の心は途端に寂寥感に占められた。襖一枚の断絶だ。細目にでも開いていれば、まだ通じ合う空気は残る。しかし、このときの襖を隔てた向こうの部屋は、もはやこちらの部屋とは相いれぬ世界となった。急に、母親が遠く手の届かぬ見知らぬ世界に行ってしまったようだ。いくつになっても子供は子供と言うが、逆もまた真なりで、いくつになっても親は親である。とくに母親は、いつまでも元気に甲斐甲斐しく家事を切り回す存在だと、どんな子供も漠然とそう信じて生きているだろう。だが、決してそうではないという現実を、この真昼に閉ざされた一枚の襖が告げたのである。郭公は、実に明るいような寂しいような声で鳴く。そこで時代を逆転させ、掲句に一句をもって和するとすれば、すなわち「憂き我をさびしがらせよ閑古鳥」(松尾芭蕉)でなければなるまい。ちなみに「閑古鳥(かんこどり)」は「郭公」の異名である。『朝の川』(1986)所収。(清水哲男)


May 1752001

 新緑や濯ぐばかりに肘若し

                           森 澄雄

だ電気洗濯機がなかったころの句。新緑の候。よい天気なので、妻が盥(たらい)を庭先に持ちだして、衣類を濯(すす)いでいる。一心に洗濯に励む妻の若さが、よく動く白い「肘」に象徴されている。新緑の若さと呼応しあって、眩しいばかりだ。当時は「洗多苦」などとも韜晦された楽ではない「洗濯」だし、妻には単なる家事労働の一つでしかないのだけれど、傍目の夫にはかくのごとくに彼女の姿が認められたというわけだ。眼前の妻の女身の若さを「新緑」で覆い飾るようにしてて賛美している。いま「肘」が象徴であると言ったのは、作者三十年後の句に「野遊びの妻に見つけし肘ゑくぼ」を、私が知っているからでもある。掲句で作者が見ていたのは、実は「肘」ではなくて、彼女の肉体全体のしなやかさなのであった。案外、人は見ているようで、年齢や環境によって見えないところも多々あると言うべきか。いや、見なくてもよいところこそが、多々あるということだろう。さて、余談。国産初の噴流式電気洗濯機を三洋電機が発売したのは、1953年(昭和二十八年)夏のことだった。価格は、民間給与ベースの約三倍の28,500円だ。ちなみに、この年あたりから蛍光灯が普及しはじめる。「電化元年」などと言われ、だんだん庭先での「肘」の動きも、見ようとしても見えないことになった。俳句は、時代の生活実態や慣習、風俗の記録としても面白い。貴重なドキュメントだ。『雪檪』(1954)所収。(清水哲男)


May 1652001

 バナナ下げて子等に帰りし日暮かな

                           杉田久女

語は「バナナ」で、夏。母心だ。同じような句が、細見綾子にもある。「青バナナ子に買ひあたふ港のドラ」。いずれもまだ「バナナ」が貴重品で、なかなか庶民の口には入らなかった時代の句。パイナップルも、そうだった。子供の喜ぶ顔が見たくて奮発してバナナを求め、足早に家路をたどった「日暮」である。ああ、そのような時もありき、と回想している。あの頃は、私も若くて張り切っていた、と……。さて、バナナがいかに貴重だったか。私がちゃんとしたバナナを食べたのは、二十歳を過ぎてからだ。子供のころに食した記憶はない。島田啓三の漫画『冒険ダン吉』などで存在は知っていたけれど、到底手の届かぬ幻の果実だった。そのかわりに戦時中には、乾燥バナナなる珍品が出回り、これはバナナを葉巻ほどの大きさにまで乾燥させたものである。おそらく、軍隊用の保存食だったにちがいない。食べるとなんとなく甘い味はしたが、なにしろ水気がないのだから、後に知った本物とは相当に味わいが違う。それでも「バナナ」は「バナナ」。戦後になると、それすらも姿を消した。本物は夢だとしても、なんとかもう一度食べたいと思っているうちに、高校時代の立川駅の売店に、かの乾燥バナナが昔のかたちそのままに忽然と登場したときには嬉しかった。昭和二十年代も終わりの頃である。見つけたときには、心臓が早鐘を打った。英語のシールが貼ってあったところからすると、米軍もまた保存食にしていたのだろうか。早速求めて帰り、家族で食べた。「昔と同じ味だね」。父母がそう言い、私は「うん」と言った。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)




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