♪あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな…。いまのかあさんは車。




2001ソスN5ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1652001

 バナナ下げて子等に帰りし日暮かな

                           杉田久女

語は「バナナ」で、夏。母心だ。同じような句が、細見綾子にもある。「青バナナ子に買ひあたふ港のドラ」。いずれもまだ「バナナ」が貴重品で、なかなか庶民の口には入らなかった時代の句。パイナップルも、そうだった。子供の喜ぶ顔が見たくて奮発してバナナを求め、足早に家路をたどった「日暮」である。ああ、そのような時もありき、と回想している。あの頃は、私も若くて張り切っていた、と……。さて、バナナがいかに貴重だったか。私がちゃんとしたバナナを食べたのは、二十歳を過ぎてからだ。子供のころに食した記憶はない。島田啓三の漫画『冒険ダン吉』などで存在は知っていたけれど、到底手の届かぬ幻の果実だった。そのかわりに戦時中には、乾燥バナナなる珍品が出回り、これはバナナを葉巻ほどの大きさにまで乾燥させたものである。おそらく、軍隊用の保存食だったにちがいない。食べるとなんとなく甘い味はしたが、なにしろ水気がないのだから、後に知った本物とは相当に味わいが違う。それでも「バナナ」は「バナナ」。戦後になると、それすらも姿を消した。本物は夢だとしても、なんとかもう一度食べたいと思っているうちに、高校時代の立川駅の売店に、かの乾燥バナナが昔のかたちそのままに忽然と登場したときには嬉しかった。昭和二十年代も終わりの頃である。見つけたときには、心臓が早鐘を打った。英語のシールが貼ってあったところからすると、米軍もまた保存食にしていたのだろうか。早速求めて帰り、家族で食べた。「昔と同じ味だね」。父母がそう言い、私は「うん」と言った。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)


May 1552001

 明易し姉のくらしも略わかり

                           京極杞陽

さしぶりに「姉」と、つもる話をした。あれやこれやととりとめもない話をしているうちに、いつしか夜がしらじらと明けそめてきた。午前四時過ぎだ。「ああ、もうこんな時間……」と、弟は姉を寝所へとうながしたところだろう。姉の暮らしぶりが、どうなのか。日頃から気になってはいたのだけれど、ちらりと接したときに単刀直入に聞ける話ではない。姉の暮らしを聞くことは、つまりは彼女の連れ合いの状況を聞くことになるからだ。いかな血をわけた姉弟といえ、いや、だからこそ、なかなか踏み込めない領域である。この場合のようにじっくりと話す機会が訪れても、問わず語りのようにしてようやく、なんとなくわかった(「略わかり」)ということだろう。なんとなくわかった姉の生活に、作者はひとまずホッとしている。そんな微妙な安堵感が、句からにじみ出ている。本当は、もう少し聞きたかった。「明易し(あけやすし)」には、そうした残念の気持ちも含まれていようが、しかし、いくら聞いてもキリがないにはちがいない。潮時の気持ちもあって、作者は明るくなってきた窓を見つめながら、自分に多少とも安堵の念があることを確認して安堵している。杞陽は関東大震災で、この姉を除いて家族全員と死別した人だ。なまじな「姉思い」ではないはずだが、しかし互いに世間の人となった以上は、姉弟の話もかくのごとくに厄介であり、すなわち大人になるとはこういうことを言うのでもある。『但馬住』(1961)所収。(清水哲男)


May 1452001

 ポケットの蛇放しけり四時間目

                           泉田秋硯

たずらだ。昭和初期に小学生だった作者の「四時間目」は、昼休みの前なのか後だったのか。いずれにしても、授業に飽きてくる時間帯だろう。ここで床に蛇を放てば、当然一騒動持ち上がって、授業は目茶苦茶になる。先生も、まさか誰かのポケットから放たれたとは思わないだろうから、叱られるおそれもない。どこにでも蛇がいた時代ならではの茶目っ気である。かりに掲句を外国語に直訳すると、ただ作者はにやにやしているだけだが、日本語の「けり」には逆に懐旧万感の思いが沈み込んでいる。よくぞ日本に生まれ「けり」だ。この句を読んで、我が人生最大のいたずらは何だったろうと思い返してみた。小心者だから、たいしたいたずらはやっていない。情けない。やっぱり、アレかなあ。やっぱり、アレくらいしか思い出せない。でも、アレは本当に自分でやったのか、それともアイディアだけを提供したのだったか。とりあえず、首尾は上々だった。冬場の授業中、教室中央の大火鉢に、それこそ「ポケット」から「蛇」ならぬ「トウガラシ」を放り込んだだけだったのだが……。しかし、こいつは多分「蛇」よりも効き目があったと思う。あっという間に、全員がクシャミの連発となり涙が止まらなくなり、とても授業どころではなくなってしまった。後に体験した催涙弾と同じほどの効果があった。もとより実行犯は、最初から袖で鼻を押さえているので、みんなが教室から脱出する間に、悠々と証拠は隠滅できたというわけだ。ごめんなさい。『宝塚より』(1999)所収。(清水哲男)




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