3Dのお絵描きソフト「iShade」を勉強中。XYZ軸の理屈は簡単だが、感覚がついていかない。Sigh…




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May 0852001

 春と夏と手さへ行きかふ更衣

                           上島鬼貫

治以降、「更衣(ころもがえ)」の風習は徐々にすたれてきて、いまでは制服のそれくらいしか残っていない。江戸期では旧暦四月一日になると、寒かろうがどうであろうが、みないっせいに綿入れから袷に着替えたものだという。非合理的な話ではあるけれど、合理よりも形式を重んじる生活も捨てがたい。形式としての「更衣」は社会的な気分一新の意味を持っていたろうし、いわば初夏に正月気分を据えたようなものである。その他にも種々あった形式行事の数々は、まずは「かたち」があってはじめて中身がそなわるという考えに従っている。権力構造との相似もちらりと頭をよぎる。が、アンチ権力表現としてのこの俳句自体が「かたち」を重んじてきたことを考えると、すべからく形式は精神的インフラに欠かせない条件なのかもしれない。もう少し、時間をかけて考えてみたい。さて、江戸期の俳人・鬼貫の句。今日よりの夏の衣服に手を通しながら、こうやって「春」と「夏」とが「行きかふ」のだなと、季節の移動を「手」の所作から発想しているところが楽しい。つまり「かたち」が季節を移動させているわけだ。其角の有名な句に「越後屋に衣さく音や更衣」がある。「越後屋」は呉服屋、三越の前身。この句でも、「音」という「かたち」が夏の到来を告げている。其角句のほうが一般受けはするだろうが、私は鬼貫の小さな所作から大きな季節感を歌った発想に軍配をあげておこう。他の鬼貫句は、坪内稔典の新著『上島鬼貫』(2001・神戸新聞総合出版センター)で読むことができる。(清水哲男)


May 0752001

 豆飯の湯気を大事に食べにけり

                           大串 章

べ物の句は、美味そうでなければならない。掲句は、いかにも美味かったろうなと思わせることで成功している。あつあつの「豆飯」を、口を「はふはふ」させながら食べたのだ。たしかに「湯気」もご馳走である。ただし「湯気『も』」ではないから、まさかそう受け取る人はいないと思うが、食料の「大事」を教訓的に言っているのではない。念のため。「大事に」という表現は、作者と「豆飯」との食卓でのつきあい方を述べている。「湯気」を吹き散らすようにして食べるよりも、なるべくそのまんまの「湯気」を口中に入れることのほうに、作者はまっとうな「豆飯」との関係を発見したということだ。「大事に」食べなければ、この美味には届かなかったのだ、と……。もっと言えば、このようにして人は食べ物との深い付き合いをはじめていくのだろう。しかも「大事に」食べる意識が涌くのは、若い間には滅多にないことなので、作者は自分のこのときの食べ方をとても新鮮に感じて、喜んでいる。グリーンピースの緑のように、心が雀躍としている。もとより「大事に」の意識の底には、食料の貴重を知悉している世代の感覚がどうしようもなく動いているけれど、私はむしろあっけらかんと受け止めておきたい。せっかくの、あつあつの「豆飯」なのだ。「湯気」もご馳走ならば、この初夏という季節にタイミングよく作ってくれた人のセンスのよさもご馳走だ。想像的に句の方向を伸ばしていけば、どんどん楽しくなる。それが、この句のご馳走だ。『天風』(1999)所収。(清水哲男)


May 0652001

 あいまいな空に不満の五月かな

                           中澤敬子

ま、苦笑された方もおられるだろう。本当に、このゴールデンウイークは全国的に「あいまいな空」つづきだった。降るのか、このまま降らないのか。空ばかり見る日が多かった。作者も、旅先で仏頂面をしている。常に天気の崩れを気にしながらの旅は、気持ちも晴れないし疲れる。同じ作者に「不愉快に脳波移動す旅五月」がある。手元の角川版歳時記の「五月」の項には、「陽暦では晴天の日が多く、芍薬・薔薇が開き、河鹿が鳴き、行楽やピクニックの好季節」とある。これが、まずは一般的な五月のイメージだろう。引用されている例句も、みな晴れやかで不機嫌な句はない。その意味で、掲句は事実を感じたままに詠んでいるだけだが、五月へのアングルが珍しいと言えば珍しい。こういう句は、案外、晴れやかな句よりも逆に残るのではないかと思ったりした。少なくとも私は、天気の良くない五月の空を見るたびに思い出してしまいそうだ。ところで、気象庁創立以来百二十年の統計を見ると、今日「五月六日」の東京地方の天気は、晴れた日は五十回だが、三十九回が曇りで、後は雨。雷が発生した日も一回ある。晴れの五十回は、これでも五月の他の日に比べて最も多いのだから、今月の東京の「あいまいな空」の日は、漠然と思っているよりも、かなり多いということである。『現代俳句年鑑・2000』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)




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