昨日はここを書いただけで、後は何もしなかった。たっぷりビールを飲んで、たっぷり休んだ。よしっ。




2001ソスN4ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2942001

 春の雨郵便ポストから巴里へ

                           浅井愼平

者は、ご存知のカメラマン。雨降りの日に投函するとき、傘をポストにさしかけるようにして出しても、ちょっと手紙が濡れてしまうことがある。私などは「あっ、いけねえ」としか思わないが、なるほど、こういうふうに想像力を働かせれば、濡れた手紙もまた良きかな。この国のやわらかい「春の雨」が、手紙といっしょに遠く「巴里(パリ)」にまで届くのである。彼の地での受取人が粋な人だったら、少しにじんだ宛名書きを見ながら、きっと日本の春雨を想像することだろう。そして、投函している作者の様子やポストの形も……。手紙の文面には書かれていない、もう一通の手紙だ。愼平さんの写真さながらに、知的な暖かさを感じさせられる。本来のウイットとは、こういうものだろう。手紙で思い出した、昔のイギリスでのちょっといい話。遠く離れて暮らす貧しい姉弟がいた。弟の身を気づかう姉は、毎日のように手紙を出した。しかし、配達夫が弟に手紙を届けると、彼は必ず配達夫に「いらないから」と戻すのだった。受取拒絶だ。当時の郵便料金は受取人払いだったので、貧しい彼には負担が重すぎたのだろう。ある日、たまりかねて配達夫が言った。「たまには、読んであげたらどうでしょう」。すると弟は、封筒を日にかざしながら微笑した。「いや、いいんですよ。こうやって透かしてみて、なかに何も入っていなかったら、姉が元気でやっているというサインなのですから」。イギリスは、郵便制度発祥の地である。『二十世紀最終汽笛』(2001・東京四季出版)所収。(清水哲男)


April 2842001

 蛙囃せ戦前小作今地主

                           中元島女

戦後しばらくの間ならば、誰もが知っていた「農地改革」を知らないと、理解できない。そこで、手元の『広辞苑』を引いてみる。「(前略)GHQの指令に基づき第二次大戦後の民主化の一環として1947〜50年に行われた土地改革。不在地主の全所有地と、在村地主の貸付地のうち都府県で平均1町歩、北海道で4町歩を超える分とを、国が地主から強制買収して小作人に売り渡した。この結果、地主階級は消滅し、旧小作農の経済状態は著しく改善された」。おおむね正しい説明だけれど、最後の件りは必ずしも正しくないよと、当時の現場の人が言っているのだ。アメリカさんのおかげで「小作」の身分から解放され、自分も夢のような「地主」になることができた。が、経済状態は改善されるどころか、以前よりも苦しくなってしまった。そういうことを、言っている。呑気な現代の辞書のライターにはわかるまいが、在来の大地主がしぶしぶ手放した土地は、多く痩せた土地だったのだ。証拠は、往時の実りの秋を迎えたときに、そこらへんの田畑を見回してみるだけで、子供にすら隠しようもないほどに明白に現われていた。肥沃な土地と痩せた土地との格差は大きい。つまり、アメリカさんは面積の「民主主義」を強制しただけで、肥沃のそれは抜かしてしまったのである。迂闊と言うよりも、ヘリコプターで種を蒔くようなアメリカとの農地の差を、彼らが理解していなかったせいである。だから、せっかくの新米地主も、農民にとっての多忙な黄金週間に、つい愚痴の一つも吐きたくなったというのが、この句だ。「蛙囃(はや)せ」には、名前だけは立派な「地主」たる自分を滑稽に突き放してはみたものの、泣き笑いもかなわぬ不安の心が浮き上がっている。上手な句ではないけれど、このように時代を簡潔に記録することも俳句の得手だという意味で、紹介してみた次第。他意はない。いや、少しはあるかな。ある。『俳諧歳時記・春』(1951・新潮文庫)所載。(清水哲男)


April 2742001

 つちふるや嫌な奴との生きくらべ

                           藤田湘子

語は「つちふる」で春。漢字では「霾(ばい)」なる難しい文字で表記し、定義は風の巻き上げた砂塵が空中にかかったり降ったりすること。雨冠の下の「豸(むじな)偏に里」という字には「埋める」という意味があるそうだ。我が国の気象用語では、おしゃれに「黄砂」と言っている。こいつが発生すると、あちらこちらがじゃりじゃりとして、まことに鬱陶しいかぎりだ。「嫌な奴」のように、いちいち神経に触る。この句のよさは、還暦以前の若い読者には伝わらないかもしれない。言っている意味を表面的には受け止められても、何故こんなことを句にするのかと、作者の真意を測りかねる人が大半だろう。むろん還暦後ぴったりというわけではないけれど、その年齢あたりから、人は常に「死」を意識しはじめる。病床にある人のように濃厚ではないが、何かのきっかけで「死」がひょいと顔を出す。駆け出しの六十代である私なども、一度も「死」を思わない日はなくなってしまった。起床すると「死」を思い、逆に言えば生きていることの不思議を思い、そんなときには何故か「死んでたまるか」と一人力み返るのだから滑稽でもある。たぶん、黄色い微小な砂粒を浴びながらはるか年長の作者が思うことも、程度の差はあれ、同じような気がする。「生きくらべ」は稚気丸出しの表現に見えて、老人には刹那的に切実なそれなのだ。とにかく、自分がいま死んだら「嫌な奴」に負けてしまう。でも、かといって、そいつよりも長生きすることを、今後の生き甲斐にするわけでもないのである。ふっとそう思い、ふっと吐いてみたまで……。一瞬の恣意的な「生きくらべ」なのであり、年寄りの心の生理に、実にぴったりと通う句ができた。「俳句」(2001年5月号)所載。(清水哲男)




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