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April 1742001

 戦意なき男がぬつと目借時

                           和湖長六

は眠い。わけても蛙の単調な鳴き声を聞いていると、ついうつらうつらと眠くなってくる。この生理的現象は、さながら蛙に目を借りられたようなものだと言う人がいて、春の季語「(蛙の)目借時」が登場した。変な季語もあったものだが、江戸期には多くの人々のコンセンサスを得られたのだろう。全国、どこでも蛙の単調にして共通な斉唱が聞かれた時代だった。現代人である作者は、蛙の声と関係があるのかないのかは不明だが、とにかくうつらうつらと睡魔に襲われている。寝てはいけないと、みずからを叱咤してみるが、眠いものは眠いのだ。と、そこに「ぬつ」と入ってきたのが「戦意なき男」だったのだから、たまらない。眠気は、いよいよ増すばかりとなった。誰かが訪ねてくれば、たいていは少しは気持ちがしゃきっとするものだ。それが反対に作用していると言うのだから、面白い。「ぬつ」と訪ねてきた男の、ヌーボーとした風貌までが見えるようだ。むろん、お互いにツーカーの仲である。したがって、まったく緊張関係がない。こいつにまで、「目」を借りられちゃいそうだ……。ここで、思い出した。その昔のラジオの生放送中に、相棒の女性(特に名を秘す)がいやに寡黙になったと思ったら、あろうことか、実にすやすやとお眠りになっていた。ということは、彼女にとっての私は、まさに「戦意なき男」だったようだ。そう思われても、たしかに仕方のない男ではありますな、ハイ。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)


February 1922013

 子猫あそばせ漱石の眠る墓

                           村上 護

所の野良猫たちも朝な夕なに恋の声をあげる。じきに子猫の声も混じることだろう。恋のシーズンの恋猫からお腹の大きい孕猫、さらには子猫まで、くまなく季語になっている動物は他にいない。これは猫好きの人間が多いというより、猫が人間の日常への食い込み具合を物語るものだろう。夏目漱石は雑司が谷墓地に眠る。日当りの良い、猫には居心地のよさそうな場所だ。漱石の墓石は大きすぎて下品と苦言するむきもあるが、漱石の一周忌に合わせ妹婿が製作したという墓石は、鏡子夫人の『漱石の思ひ出』によると「何でも西洋の墓でもなし日本の墓でもない、譬へば安楽椅子にでもかけたといつた形の墓をこさへようといふので、まかせ切りにしておきますと、出来上つたのが今のお墓でございます」とある通り、確かに周囲に異彩を放つ。しかし、自然石でもなく、四角四面でもない墓石は、お洒落な漱石にぴったりだと思う。肘掛け椅子のようなやわらかなフォームには幾匹も猫が収まりそうなおっとりとした大らかさがある。とはいえ、大の猫嫌いだったといわれる鏡子夫人は、この墓石のかたちにしたことを多少後悔しているかもしれない。〈ひと枡に一字一字や目借時〉〈四方(よも)見ゆる其中つれづれ日永かな〉『其中つれづれ』(2012)所収。(土肥あき子)


April 2742014

 漫画読む鬚の青年めかり時

                           沢木欣一

かり時は晩春の季語。蛙(かわず)の目借時を縮めた言い方です。蛙が人の目を借りるから春は眠気をもよおすという俗説で、戯画的な季語です。掲句の鬚の青年は、文学青年かアーティスト風か、一見高尚な面立ちながら漫画に集中している、そのギャップに着眼しています。作者は東京芸大の国語教師だったので、後者を揶揄(やゆ)しているのかもしれません。句集発行は昭和58年で、漫画の文化的な価値は日本でも世界でも現在ほど評価されていなかった時代です。だから、アーティスト風情が漫画なんかを読んでいたら蛙に目を持っていかれるぞ、という警告なのかもしれません。しかし、「めかり時」という季語自体が戯画的なので、句全体を晩春の気候のように青年の鬚すらおだやかに包んでいます。なお、句集にはもう一つ「飽食の昭和後代めかり時」があり、こちらはかなり警句的です。『遍歴』(1983)所収。(小笠原高志)




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