いい歳をしたおっさん連中が「エイエイ、オーッ」でもあるまいに。常識ではトッチャン坊やと言う。




2001ソスN4ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1342001

 蛇穴を出れば飛行機日和也

                           幸田露伴

語は「蛇穴を出づ」で、春。冬眠からさめた蛇が地中から出てみると、ぽかぽかとした上天気。空を見上げて、思わずも「ああ、飛行機日和だ」とつぶやいている。まさか蛇がつぶやくわけもないが、ようやく長い冬のトンネルを抜け出た作者が、上機嫌で蛇につぶやかせたくなったのだ。真っ暗な地中から出てきたら、真っ先に目に入るのは周辺の景色ではなく、やはり明るい上空だろう。「蛇」と「飛行機」。この取り合わせには、意表を突かれる。それにしても、「飛行機日和」なんて楽しい言葉があったとは……。現代の「フライト日和」は飛行機に乗る人の側からの発想だが、「飛行機日和」は飛んでいる飛行機を下から見上げる人のそれだろう。昔の飛行機は低空で飛んだので、機影がよく見えた。パイロットの顔も見えた。爆音が近づいてくると、大人も子供も外に出て「凄いなあ」と眺めたのである。私の子供の頃は、飛行機はもちろんだが、自動車が通りかかっても後を追いかけて走ったものだ。排気ガスの匂いが、なんとも言えぬほどに心地よかった。まさに芳香。みんなで、胸いっぱいに吸い込んでいた。爾来半世紀を閲して、飛行機はよく見えなくなり、排気ガスは悪臭と化す。さて、今日の天気を「何日和」と言うべきなのか。『俳句の本』(2000・朝日出版社)所載。(清水哲男)


April 1242001

 夕東風や銭数えてる座頭市

                           小沢信男

頭(ざとう)とは、元来が琵琶法師の座に属する剃髪した盲人の官位を指す。近世になると、琵琶を演奏するだけではなく、一方で按摩や金貸しなどを業とした。転じて、盲人の意味もある。江戸期、そんな盲人の一人に「座頭市」と呼ばれた凄い男がいた。子母沢寛の随筆にほんの数行だけれど、按摩にして居合い抜きの達人がいたと出てくる。この数行をふくらませたのが京都大映の脚本家・犬塚稔で、それまでは白塗りで鳴かず飛ばずだった勝新太郎をスターの座に押し上げてしまった。「座頭市シリーズ」である。第一作目は『座頭市物語』(1962)。下総の大親分・飯岡助五郎一家に草鞋を脱いだ座頭市は、賭場では目明き以上の眼力を発揮したし、仕込み杖を逆手に握った居合い抜きの冴えには恐るべきものがあった。それが浮き世のしがらみから、お互いに剣の実力を認め合っている笹川繁蔵の用心棒・平手造酒との直接対決となる。このあたりは、むろん脚本家のフィクションだ。映画なので、座頭市が勝つ。勝つのだが、好まざる命のやりとりに空しさを覚えた座頭市が下総を去っていくところで、映画は終わる。前説が長くなったけれど、掲句はそよそよと心地よく吹く夕東風のなかで、座頭市が真剣な手つきで銭を数えている。それも、按摩の仕事で得た小銭をだ。仕込み杖さえ使う気になれば大金が転がり込んでくるというのに、それをしないで真っ当に按摩で稼いだ銭をいとおしんでいる。その姿を、作者もまたいとおしんでいる。春の夕景は、こうあってほしいものだ。このわずかな銭を元手に、これから彼がちんけな賭場に上がり込むにしても、だ。平手造酒とは違って、座頭市は身をやつしているわけじゃない。居合い抜きの名手であることも、彼にとって社会的な価値でも何でもない。あんなに腕が立つのなら、もっとよい暮らしができるのにと思うのは、現代人の見方。そうはいかなかったのが、江戸という時代だ。そのへんの事情にも、作者の思いはきちんと至っている。文芸同人誌「橋」(第16号・2001年4月)所載。(清水哲男)


April 1142001

 むつとしてもどれば庭に柳かな

                           大島蓼太

太(りょうた)は、十八世紀江戸の人。例の「世の中は三日見ぬ間に桜かな」の俳人だ。「むつとして」と口語を使っているのが、面白い。いまどきなら「むかついて」とやるところか(笑)。表で、何か不愉快なことがあった。むかむかしながら帰宅すると、庭では柳が風を受け流すようにして超然と静かに揺れている。些細なことに腹を立てている自分が、小さい人間に思われて恥ずかしいと言うのだろう。むろん、目にしみるような柳の美しさに、立腹に荒れた心が癒されてもいる。桜の句もそうだが、かなり教訓を垂れようとする色合いが濃い。また、そう読まなければ読みようがない。このように詩歌に教訓や人生訓を持ち込む流れは、昔から脈々としてつづいてきた。高村光太郎などはお得意だったし、宮澤賢治の一部の詩もそうだし、現代の書き手にも散見される。投稿作品には、どういうわけか実に多い。子供の頃は別(賢治の「稲作挿話」には感動した)として、やがて私はこういう流れが苦手となり、出会うたびにそれこそ「むつとして」きた。詩歌に生き方まで教えてほしくないよ、「東へ西へ歩け歩け」(光太郎)だなんて余計なお世話じゃないか……。ただし、このテの作者の美質はとにかく生真面目なところにあり、私など不良は恥じ入るばかりだ。だから「むつとして」も、なかなか面と向かっては物を言えないできた。不幸にも我が家の庭には柳もないことだし、どうすればよかんべえか。(清水哲男)




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