イチローが新庄がとかまびすしい。そんなに皆ビッグ・リーグに関心があるとも思えない。不思議だ。




2001ソスN4ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0542001

 はなちるや伽藍の枢おとし行

                           野沢凡兆

兆は、加賀金沢の人。蕉門。『猿蓑』の撰に加わった。彼の移り住んだ京には、いまも花の名所として知られる寺が多い。夕刻の光景だ。花見の客もあらかた去っていき、静かな境内では花が散り染めている。「枢(くるる)」は普通の戸の桟(さん)のことも言うが、ここでは寺だからもう少し頑丈な仕掛けのあるもの。「扉の端の上下につけた突起(とまら)をかまちの穴(とぼそ)にさし込んで開閉させるための装置」(『広辞苑』第五版)だ。旧家などの扉にも使われ、さし混むときにカタンと音がする。静寂のなかに扉を閉ざす音が響き、なお花は音もなく散りつづけて……。「はなちるや」の柔らかい表記と固い音響との対比も見事なら、僧侶の黒衣にかかる白い花びらとの対照も目に見えるようである。かくして、寺の花は俗世から隔絶され、間もなく「伽藍(がらん)」とともに柔らかな春の闇に没していくだろう。無言の僧侶はすぐに去っていき、作者もまた心地よい微風のなかを家路につくのである。寂しいような甘酸っぱいような余韻を残す句だ。「春宵一刻値千金」とも言うけれど、その兆しをはらんだ春の夕暮れのほうが、私には捨てがたい。「さくらちる」京都の黄昏時を、ほろりほろりと歩いてみたくなった。いまごろが、ちょうどその時期だろうか。(清水哲男)


April 0442001

 衰ひや歯に喰あてし海苔の砂

                           松尾芭蕉

語は「海苔(のり)」で、春。人間の衰えの兆しは、まず歯に来ると昔から言われてきた。その次には「目」に来て、次の次はムニャムニャ(笑)だ。元禄四年(1691)の作句だから、芭蕉は四十八歳だったことになる。当時の海苔には砂混じりのものも多かったはずだから、老若に関係なく「喰あてる」ことは普通のことだったろう。が、年を取るとジャリッと噛み当てたときの感触が違うのだ。若いうちならジャリッと来たらペッペッと平気な顔をしていられるが、そうはいかない。ジャリッと来てミシッと歯茎に食い込む感じになる。「来たっ」と思い、認めたくはないのだけれど、否応なくこれが衰えというものかと思う。会食のときなどにジャリッと来ると、顔にこそ出さないが、一瞬暗澹たる気持ちになる。まわりの人たちの若さが、とても羨ましくなる。芭蕉も、きっとそんな気持ちだったに違いない。べつに芭蕉に言われなくても、年老いてくると、誰もが歯の一瞬の感覚で衰えを感じているはずだ。しかし、そんな当たり前のことを簡潔に表現するのは難しい。初案は「噛当る身のおとろひや苔の砂」だった。こちらの句は本音が出過ぎていて、個人的な感慨に閉じ籠っていて、句がべとついてしまっている。からっと仕上がって乾いている掲句のほうが、多くの読者に思い当たらせるパワーを感じる。なにせ相手が乾き物の「海苔」だけに……。とは、無論つまらん冗談です。(清水哲男)


April 0342001

 春うらら上がる下がると京の街

                           浅見優子

学時代の下宿の位置を京都駅から説明すると、駅前の烏丸通をまっすぐ「上がって」いくと烏丸車庫に突き当たり、そこから立命館高校ガ見えるので、裏手の小山初音町に回り込み、三味線の音が聞こえてきたら(大家さんは長唄のお師匠さん)、その家の二階が私の部屋であった。京都に住んでしまえば「上がる下がる」は「東入る西入る」とともに便利な方向指示用語だけれど、最初は戸惑った。京都のように整然と東西南北に走る道筋を知らなかったので、かえってまごつくことになった。要するに、道はまがりくねっているものという先入観が、なかなか払拭できなかったからだ。作者も、同様だろう。旅の人ゆえ、戸惑いすらもが面白く、春の「麗か」(季語)さが増幅される気分になっている。なぜ「上がる下がる」なのかと言えば、「天子は南面す」る存在であるから、天子は常に北を背にしている。したがって、北におわします天子に近づくのが「上がる」で、遠ざかるのが「下がる」という理屈だ。だから、江戸時代の江戸で出た地図も「上方(かみがた)」である西を上にして描かれている。西洋流の北を上にする描き方を知らなかったわけではないはずだが、おそれおおいということで西側を上に持ってきたのだろう。ただし「御城(江戸城)」という図上の表記は真っ逆さまだ。とても変な感じだけれど、これは暗に天子に足を向けた「御城」の権威を表している。天子を形式的にうやまいつつも、実質的な権力の象徴としての「御城」の権威をも、同一画面に同時に描こうとした地図師の苦肉の策だったかと思われる。「春うらら」とは遠い話になってしまった。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2001年4月2日付)所載。(清水哲男)




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