スウェーデンとの句集『四月の雪』を編纂した際、滑稽な四月馬鹿の句を入れようとしたら叱られた。




2001ソスN4ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0142001

 花影婆裟と踏むべくありぬ岨の月

                           原 石鼎

野山での句。「花は吉野か」と、吉野の山桜は有名だ。肌寒いほどの夜だろう。月は朧ではなく、煌々と冴え返っている。その月光が、岨(そば)道に「花影(かえい)」を落としている。「婆裟(ばさ)と踏むべく」で、作者の頭上に群がり咲いている花の豪華な量感が知れる。踏めば、影でも「婆裟」と音がしそうだ……。ざっくりと詠んでいるようでいて、実に緻密な構造を持っている句だ。五七五だけで、よくもこんなことが言えるものだと感心させられてしまう。秘密の一端は「岨の月」という極度の省略表現にある。試みに掲句を外国語に翻訳してみようとすると、この部分はとても厄介だ。どうしても、説明が長くなる。長くなると、句の情感が色褪せる。かつて篠原梵が「切れ字は俳句界の隠語だ」というようなことを言ったことがあるけれど、この省略表現もまた、俳句に慣れない人には隠語みたいに感じられるかもしれない。とにかく、俳句特有の省略法である。以下は、また脱線。「花影」は普通樹に咲いている花の影を言うが、散っている花の影を指した珍しい詩がある。大村主計の書いた童謡「花かげ」に「十五夜お月さま ひとりぼち/桜吹雪の 花かげに/花嫁すがたの おねえさま/くるまにゆられて ゆきました}とある。こちらの月は朧だろう。それにしても「桜吹雪」の花影とは。センチメンタルな道具立てに凝りすぎたようで、情景がピントを結んでくれない。私の感受性が変なのかもしれないが、夜の歌という気もしない。したがって同じ月夜の桜でも、この場合は俳句の圧勝である。『花影』所収。(清水哲男)


March 3132001

 天才に少し離れて花見かな

                           柿本多映

作です。笑えます。何の「天才」かは知らねども、天才だって花見くらいはするだろう。ただ「秀才」ならばまだしも、なにしろ敵は天才なのだからして、花を見て何を思っているのか、わかったものじゃない。近くにいると、とんでもない感想を吐かれたりするかもしれない。いやその前に、彼が何を思っているのかが気になって、せっかくの呑気な花見の雰囲気が壊れてしまいそうだ。ここは一番、危うきに近寄らずで行こう。「少し離れて」、いわば敬遠しながらの花見の図である。でもやはり気になって、ときどき盗み見をすると、かの天才は面白くも何ともないような顔をしながら、しきりに顎をなでている。そんなところまで、想像させられてしまう。掲句を読んで突然思い出したが、一茶に「花の陰あかの他人はなかりけり」という句があった。花見の場では、知らない人同士でも、なんとなく親しみを覚えあう。誰かの句に、花幕越しに三味線を貸し借りするというのがあったけれど、みな上機嫌なので、「あかの他人」との交流もうまくいくのだ。そんな人情の機微を正面から捉えた句だが、このときに一茶は迂闊にも「あかの他人」ではない「天才」の存在を忘れていた。ついでに、花見客の財布をねらっている巾着切りのことも(笑)。掲句は「俳句研究」(2001年4月号)に載っていた松浦敬親の小文で知った。松浦さんは「取合わせと空間構成の妙。桜の花も天才も爆発的な存在で、出会えば日常性が破られる。『少し離れて』で、気品が漂う」と書いている。となると、この天才は岡本太郎みたいな人なのかしらん(笑)。(清水哲男)


March 3032001

 火の隙間より花の世を見たる悔

                           野見山朱鳥

哭。印象は、この二文字に尽きる。人生の三分の一ほどを病床で過ごした朱鳥は、このときにもう死の床にあることを自覚していたと思われる。夢うつつに、めらめらと燃え盛る地獄の炎を意識していたに違いない。実際はうららかな春の日差しだろうが、重い病いの人に、あまりの明るさはコタえるのだろう。その我が身を焼き尽くすような「火の隙間」から、ちらりと桜花爛漫の「花の世」を見てしまった。未練を断ち切ろうとしていたはずの、俗世の人々のさんざめく様子が垣間見えたのである。実際には、もちろん花見の情景などは見ていない。家人の動きや言葉の端などから、桜の見頃であることを察知したのだ。くやしい。猛然と、そんな心が起き上がってくる。健康であれば、私も「火」の向こう側で楽しく花見ができているはずなのに……。掲句の神髄は、赤い「火」と紅の「花」との取り合わせにある。「火」と「水」のような対比ではない。同色系で奥行きを出したところに、作者の俳句修練の果てが表れている。そんな技術的方法的な意識はもはやなかったかもしれないが、しかし、修練無くしてこのような句は生まれないだろう。それにしても、実に悪寒がするほどに恐い句だ。いよいよ自分が死ぬと自覚できたとして、この句を知っている以上、春たけなわの「花の世」で死ぬのだけは免れたいと思う。その昔「花の下にて」春に死にたいと願った歌人もいたけれど、当分死ぬ気遣いのない人だからこそ詠めた「浪漫」だ。死の床に「浪漫」の入り込む余地はない。朱鳥の命日は、二月二十一日(1970)だった。「花の世」には、無念にも一ヶ月ほど届かなかった。「生涯は一度落花はしきりなる」。朱鳥亡き後も、花は咲き花は散っている。『愁絶』(1971)所収。(清水哲男)




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