さあ、セ・リーグも開幕だ。中日、横浜、巨人、広島、阪神、ヤクルト。考え抜いた順位予想である。




2001ソスN3ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 3032001

 火の隙間より花の世を見たる悔

                           野見山朱鳥

哭。印象は、この二文字に尽きる。人生の三分の一ほどを病床で過ごした朱鳥は、このときにもう死の床にあることを自覚していたと思われる。夢うつつに、めらめらと燃え盛る地獄の炎を意識していたに違いない。実際はうららかな春の日差しだろうが、重い病いの人に、あまりの明るさはコタえるのだろう。その我が身を焼き尽くすような「火の隙間」から、ちらりと桜花爛漫の「花の世」を見てしまった。未練を断ち切ろうとしていたはずの、俗世の人々のさんざめく様子が垣間見えたのである。実際には、もちろん花見の情景などは見ていない。家人の動きや言葉の端などから、桜の見頃であることを察知したのだ。くやしい。猛然と、そんな心が起き上がってくる。健康であれば、私も「火」の向こう側で楽しく花見ができているはずなのに……。掲句の神髄は、赤い「火」と紅の「花」との取り合わせにある。「火」と「水」のような対比ではない。同色系で奥行きを出したところに、作者の俳句修練の果てが表れている。そんな技術的方法的な意識はもはやなかったかもしれないが、しかし、修練無くしてこのような句は生まれないだろう。それにしても、実に悪寒がするほどに恐い句だ。いよいよ自分が死ぬと自覚できたとして、この句を知っている以上、春たけなわの「花の世」で死ぬのだけは免れたいと思う。その昔「花の下にて」春に死にたいと願った歌人もいたけれど、当分死ぬ気遣いのない人だからこそ詠めた「浪漫」だ。死の床に「浪漫」の入り込む余地はない。朱鳥の命日は、二月二十一日(1970)だった。「花の世」には、無念にも一ヶ月ほど届かなかった。「生涯は一度落花はしきりなる」。朱鳥亡き後も、花は咲き花は散っている。『愁絶』(1971)所収。(清水哲男)


March 2932001

 鳥の恋峰より落つるこそ恋し

                           清水径子

語は「鳥の恋」で春。春から初夏にかけては野鳥の繁殖期で「鳥交る(さかる)」「鳥つるむ」などとも言う。ちょっと面白い作りの句だ。サーカスのジンタで知られる曲「美しき天然」の歌詞にかけてある。「♪空にさえずる鳥の声、峰より落つる滝の音……」。作者は鳥たちが美声を発して求愛をしている様子を聞き、ふとこの歌を思い出した。口ずさんでいるうちに、自然に一句がなったのだろう。「峰より落つる」のは滝である。その滝のように激しく「落つる」のが、恋の理想だと。したがって「落つるこそ恋し」の「恋し」は、たとえば「恋を恋する」と言うときの「恋し」であり、抽象的な対象を憧憬し理想化している。「落つる(恋)こそ恋し」なのだ。句集の刊行時から推定して、作者七十代後半の句かと思われる。探してみたが、この人に恋愛の意味での「恋」の文字の入った句は他に見当たらず、同じ句集にわずかに「君のそばへとにかくこすもすまであるく」と、異性を意識した句が見える。本当はすっとまっすぐ近づきたいのに、とりあえず「こすもす」に近づくふりをしているのだ。このときに「コスモス」と片仮名でないのは、「君」に対する感情が「コスモス」を甘く「こすもす」と揺らしたかったためだと思う。控えめでつつましい女性の姿が想像される。そのような女性にして、この一句あり。かえって、私には得心がいった。『夢殻』(1994)所収。(清水哲男)


March 2832001

 春昼の指とどまれば琴も止む

                           野沢節子

とに知られた句。あったりまえじゃん。若年のころは、この句の良さがわからなかった。琴はおろか、何の楽器も弾けないせいもあって、楽曲を演奏する楽しさや充実感がわからなかったからだ。句は、演奏を終えた直後の気持ちを詠んでいる。まだ弾き終えた曲の余韻が身体や周辺に漂っており、その余韻が暖かい春の午後のなかに溶け出していくような気持ち……。琴の音は血をざわめかすようなところがあり、終わると、そのざわめきが静かに波が引くようにおさまっていく。弾いているときとは別に、弾き終えた後の血のおさまりにも、演奏者にはまた新しい充実感が涌くのだろう。まことに「春昼」のおぼろな雰囲気にフィットする句だ。ちなみに、このとき作者が弾いたのは「千鳥の曲」後段だった。三十代のころに住んでいたマンションの近所に、琴を教える家があった。坂の途中に石垣を組んで建てられたその家は、うっそうたる樹木に覆われていて、見上げてもほとんど家のかたちも見えないほどであった。日曜日などに通りかかると、よく音色が聞こえてきたものだ。どういう人が教えていて、どういう人が習っているのか。一度も、出入りする人を見たことはない。そのあたりも神秘的で、私は勝手に弾いている人を想像しては楽しんでいた。上手いか下手かは、問題じゃない。ピアノ全盛時代にあって、琴の音が流れてくるだけで新鮮な感じがした。「深窓の令嬢」なんて言葉を思い出したりもした。掲句から誰もが容易に連想するのは、これまたつとに知られた蕪村の「ゆく春やおもたき琵琶の抱ごゝろ」だろう。こちらは、これから弾くところだろうか。なんとなくだが、蕪村は琵琶を弾けない人だったような気がする。演奏云々よりも、気持ちが楽器の質感に傾き過ぎている。それはよいとしても、演奏者なら楽器を取り上げたとき、こんな気持ちにならないのではないだろうか。つまり、想像句だということ。『未明音』(1955)所収。(清水哲男)




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