花をろくに見もしない花見なんてくだらない。そういう人がいる。じゃあ、どんな花見をするんだい?




2001ソスN3ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2532001

 浮き世とや逃げ水に乗る霊柩車

                           原子公平

語は「逃げ水」で、春。路上などで、遠くにあるように見える水に近づくと、また遠ざかって見える現象。一説に、武蔵野名物という。友人知己の葬儀での場面か、偶然に道で出会った霊柩車か、それは問わない。「逃げ水」の上に、ぼおっと浮いたように霊柩車が揺れて去っていく。そこをつかまえて「浮き世とや」と仕留めたところには諧謔味もあるが、人間のはかなさをも照らし出していて、淋しくもある。霊柩車はむろん現世のものだが、こうして見ると彼岸のもののようにも見える。まさにいま、この世が浮いているように。死んでもなお、しばらくは「浮き世」離れできないのが人間というものか。句集の後書きを読んだら、きっぱりと「最後の句集」だと書いてあった。また「『美しく、正しく、面白く』が私の作句のモットーなのである」とも……。宝塚歌劇のモットーである「清く、正しく、美しく」(天津乙女に同名の著書がある)みたいだが、揚句はモットーどおりに、見事に成立している。この句自体の姿が、実に「美しく、正しく、面白」い。いちばん美しく面白いのは、句の中身が「正しい」ところにある。「正しさ」をもってまわったり、ひねくりまわしたりせずに、「正しく」一撃のもとにすぱりと言い止めるのが、俳句作法の要諦だろう。言うは易しだが、これがなかなかできない。ついうかうかと「浮き世」の水に流されてしまう。「正しさ」を逃がしてしまう。話は変わるが、句の「逃げ水」で思い出した。「忘れ水」という言葉がある。たとえば池西言水に「菜の花や淀も桂も忘れ水」とあるように、川辺の草などが生い茂って下を流れる川の水が見えなくなることを指す。日本語の「美しく、正しく、面白く」の一端を示す言葉だ。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)


March 2432001

 一斉に客の帰りし朧かな

                           塩谷康子

は「おぼろ」。「では、そろそろ失礼します……」。「あっ、もうこんな時間……」。一人が立ち上がると、うながされたように、みんなが「一斉に」立ち上がる。玄関まで見送って部屋に戻ると、そこには独特の雰囲気の空間が残っている。つい先刻まで笑いさざめいていた人たちの余韻があって、なんだか淋しいような、ホッとしたような。これから後片づけが待っているのだが、時は春。もてなした側の気配りの疲労感も、ぼおっと心地よく「朧」に溶けて、しばし室内を見渡している。どこか「一期一会」に通じるような、そんな作者の心情の通ってくる句だ。やはり春でなければ、こうは詠めまい。「朧」が客たちの余韻をふうわりと包み込み、引き摺るのである。むろん、これはホストとしての句。客によっては、ホストになれない家族もいる。子供の頃の来客は、いやだった。たいていが父の客で、子供は挨拶させられるだけ。客のいる間は、どこかに引っ込んでいるしか仕方がない。昼間ならば表で遊ぶというテもあるけれど、夜は別の部屋で息を殺すようにして過ごさねばならなかった。本でも読もうかと思うのだが、どうも気になって身が入らない。家の中に普段いない人が長時間いるということは、一つの事件と言ってもよさそうだ。教師の家庭訪問などは、さしずめ大事件と言うべきか。現状では、我が家の客には、圧倒的に連れ合いの客が多い。ついで、子供の客。その間は、別室で小さくなっている。私に客が少ないのは、男同士の交友はたいてい外の飲屋ですませてしまうせいと思うが、こういう句に触れると、たまには自宅で楽しくやりたくなってくる。春おぼろ……。今日あたり、この句を実感する読者もおられるだろう。『素足』(1997)所収。(清水哲男)


March 2332001

 花たのしいよいよ晩年かもしれぬ

                           星野麥丘人

国から花便りが届くようになった。若いころにはそうでもなかったが、年齢を重ねるに連れ、開花が待ち遠しくなってきた。なんとなく、血のざわめきのようなものを感じる。いったい、いかなる心境の変化によるものだろうか。そんなことを漠然と感じていた矢先だったので、この句に出会ったときにはドキリとした。自註というわけではないが、作者の俳人としての「花」に対する姿勢が添えられている。「平成二年。花鳥風月の花を代表するのはいうまでもなく桜。その桜を『花』という。とても詠めるものじゃない。虎杖やすかんぽでも詠んでいる方がぼくにはふさわしいことは、ぼく自身がいちばんよく知っている。だから『花』のような大きな季語で写生することなど出来る筈がない。はじめから逃げている、そう言われても仕方のないような作だが、晩年に免じて許されたい」。「晩年」について言えば、生きている人の誰にもおのれの「晩年」はわからない。本来は故人を偲ぶときなどに使う言葉だろうから、生きている人が自分の「晩年」を言うのは自己矛盾である。しかし、これからがややこしいところで、一方で私たちは人が必ず死ぬことを知っている。それも、ある程度の年齢まで到達すると、本人も周囲も「いよいよ」かと思うものだろう。だから、自分の「晩年」を言っても、さしたる矛盾でもないという年齢はありそうだ。が、いくつになったら矛盾しないのか。究極的には、やはり誰も自分の自然な余命を知ることはできない。だとすると、……と考えていくうちに、事は錯綜するばかり。ああ、七面倒くさい。となって、「晩年かもしれぬ」で打ち止めである。だから「晩年」の二字はあっても、句は暗くない。むしろ、明るい。「俳句研究」(2001年3月号)所載。(清水哲男)




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