花便りの聞こえてくる週がはじまりました。プロ野球の開幕も間近。東京の春爛漫も、もうすぐそこに。




2001ソスN3ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1932001

 籠の鶏に子の呉れてゆくはこべかな

                           富田木歩

せた竹籠に飼われている鶏に、たまたま通りかかった子供が、そこらへんに生えている「はこべ」を摘んで与え、すっと行きすぎていった。ただそれだけの情景だが、見ていた作者は心温まるものを感じている。この場合に、子供の行為は、公園の鳩に餌をやるそれとは大違いだ。鳩に餌をやるのは鳩を身近に呼び集める目的があってのことで、下心が働いている。句の子供に、そんな下心は微塵もない。といって籠の鶏の身に同情しているというのでもなく、ふっと腹を空かせていそうな気配を感じて、とりあえず「はこべ」を与えたまでのこと。去っていった子供も、すぐにこんなことは忘れてしまうだろう。善行を積んだなど、露思っていない。だからこそ、作者には嬉しいのだ。気配りとも言えぬ気配り、ごく自然で無欲な振る舞い。脚が不自由で一歩も歩行の適わなかった木歩にしてみれば、なおさらに子供のぶっきらぼうな行為が印象深く、頼もしくさえ思えただろう。だから、句になった。べつに木歩の境遇を知らなくても、揚句は味読に値する。誰に教えられずとも、この子のような気持ちを持った子は、昔はたくさんいた。大袈裟に聞こえるかもしれないが、みんながそうだった。生きとし生けるものとのつきあい方を、自然に身に付けていたのだと回想される。そこへいくと「いまどきの子は……」などと、愚痴を言ってもはじまらぬ。目から鼻へ抜けるような利口な子は、句の作られた大正期よりも圧倒的に多いのだろうが、それがどうしたと居直りたくなる「句の子」のありようではないか。木歩は、関東大震災で非業の死を遂げた。この子は、無事に生き残ったろうか。「死ぬなよ」と、とんでもなく時代遅れの声援を送りたくなる。ちなみに「はこべ」の漢字は「繁縷」などと表記され、読むにはやけに難しい。松本哉編『すみだ川の俳人・富田木歩大全集』(1989)所収。(清水哲男)


March 1832001

 野遊びやグリコのおまけのようなひと

                           小枝恵美子

語は「野遊び」。春の山野で日を浴び、青草の上で遊び楽しむこと。現代語では「ピクニック」にあたるだろう。さて「グリコのおまけのようなひと」とは、いったいどんな人なのだろうか。いろいろと想像してみた。「おまけ」なのだからメイン・ゲストではなく、いてもいなくても差し支えないような人とも解せるが、しかしこの解釈では「グリコのおまけ」の本義(!?)からは外れてしまう。多くの子供たちにとって、グリコは本体よりも「おまけ」のほうが大事だったはずだからだ。少なくとも私は、「おまけ」目当てでグリコを買っていた。本体の飴の味は、森永ミルクキャラメルや古谷のウィンター・キャラメル(これがいちばん好きだった)に比べると、明らかに格下だった。となれば、あの「おまけ」の箱を開けるときのような期待感を持たせる楽しげな人という意味だろうか。でも、開けてみると大概は「なあんだ」というのが「グリコのおまけ」なので、期待は持たせるが中身は知れているような人なのか。あるいは女の子用の「おまけ」の箱の柄は華やかだったので、花柄プリントでも着ている女性を指しているのか。本物の野の花のなかで、人工的な花柄プリントは、むしろ似合わない。結局は、よくわからなかつた。が、わからなくても気になる句はある。「野遊び」の子供の菓子にグリコがあって不自然ではないし、作者の発想もそのあたりから来ているのだろう。とにかく、なんとなく読者の機嫌をよくさせる句だ。だいぶ前に、筑摩書房が『グリコのおまけ』という酔狂な本を作ったことがある。過去の「おまけ」のカタログ集みたいな本だが、そこに拙句「将来よグリコのおまけ赤い帆の」が載っている。編集者の話では、この句に写真を添えるために「赤い帆」の舟を探すべく、グリコの倉庫を必死に探索したそうだけれど、ついに発見できなかったという。代わりに「白地に赤のストライプの帆」の舟の写真が掲載された。白状すると、私は実景を詠んだのではない。「赤い帆」くらいなら必ずあるだろうと、確かめもせずに作ってしまった(元々はこの本のために作った句ではないが)のだった。罪深いことをしました。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)


March 1732001

 「思わしくない」などまだ無心蝌蚪とりに

                           古沢太穂

書に「通信簿をもらってきた柊ちゃん」とある。ご長男の名前が「柊一」君。小学校一年生の一年を締めくくる通信簿に「思わしくない」という評価があった。でも、柊ちゃんはそんな成績にも無頓着で、いつものようにさっさと「蝌蚪(かと・おたまじゃくし)」をとりに、表に飛び出していってしまった。その「無心」に微笑しつつも、しかし親としてはやはり「思わしくない」が気になって、あらためて通信簿に眺め入るのである。句が作られたのは、1950年代のはじめのころ。まだ「思わしくない」などという厳しい表現による評価項目があったのかと、ちょっと驚いた。その後は、いつのころからか「がんばろう」などのマイルドな表現に変わっていったはずだ。むろん五段階評価それ自体に変わりはないのだが、一年生にはともかく、上級の子らに「思わしくない」評価には辛いものがあったのではなかろうか。私が一年生のときには「優」「良上」「良」「良下」「可」の五段階だった。柊ちゃんとは違って、何故か成績をよく覚えている。「修身」の「良上」を除いて、あとは全部「良」だった。紫色のゴム印で押してあった。後に中学二年時の数字評価の「オール3」を獲得する素地は「栴檀は双葉より芳し(笑)」で、早くも一年生で芽生えていたというわけだ。高校生三年生のときに、すぐ後ろの席にいたH君の成績表を見せてもらったことがある。「オール5」だった。他人のものながら、あんなに気持ちの良い成績表を見たのは、あのとき一回きりである。彼は学校が禁じた(そんな時代もあったのだ)映画『不良少女モニカ』を見に行くような一面もあって面白い男だったが、涼しい顔ですんなりと東大に入っていった。ところで、その後の柊ちゃんはどうしたろうか……。『古沢太穂句集』(1955)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます