メモには三菱鉛筆を使う。葉書や封書にはパイロット万年筆。原稿は「たまづさ」で。数年間全く同じ。




2001ソスN3ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0832001

 新宿や春月嘘つぽくありて

                           山元文弥

都心、新宿。物の本によれば、元禄十一年に「内藤新宿」として発した宿駅である。「内藤」は、高遠藩内藤氏の屋敷地だったことから名付けられ、新宿御苑は内藤家の下屋敷があったところだというから、豪勢なものだ。とくに関東大震災以降は、東京の交通の要衝となる。そんなことはともかく、新宿は我が青春の学校みたいな街だった。受験浪人時代には紀伊国屋書店と映画館に溺れ、社会人になってからは酒場に溺れた。あの頃の新宿は若者たちの野望と失意が渦巻いており、いまとなっても懐かしいだけではない何かをみんなに刻み込んだ街であった。そんな新宿にも空はあり、春の月もおぼろにかかった。揚句の「嘘つぽく」という表現は、一見安っぽくも写るが、この通りである。ネオンの林立する不夜城に上る月は、ひどく頼りない感じに見えた。人工的なネオンの光りのほうが自然に見え、月はまことにもって「嘘つぽ」いのであった。戦前の流行歌「東京行進曲」にも「♪変わる新宿 あの武蔵野の 月もデパートの屋根に出る」(うろ覚えです)の一節があり、そのころからもう「嘘つぽく」感じられていたのだ。わざわざ「あの武蔵野の月」だよと確認しないと、まがいものに見えたほどに……。最近は、めったに新宿に行かなくなった。昔からつづいている酒場も代替わりして、なじめない。一軒だけ、辻征夫が駅近くで発見した「柚子」という飲み屋があり、出かけるとそこにちょっと寄るくらいになった。今宵の月は真ん丸だ。新宿では、きっと誰かが「嘘つぽく」思いつつ眺めることだろう。『俳枕・東日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 0732001

 泥濘に児を負ひ除隊兵その妻

                           伊丹三樹彦

季句としてもよいが、句の「泥濘」は中身に照らして、この季節の「春泥(しゅんでい)」と読んでおきたい。徴兵制のシステムに詳しくないので、あるいは季節を間違えているかもしれないが、御容赦を。戦前の皆兵時代には、兵役につくと、普通は二年で満期となった。その晴れて満期となった日の光景だ。以下は、作者の弁。「営門前には、満期兵の家族たちが喜々として、これを迎える。中には留守の間に生れた幼児を背負うた若妻の姿も混る。青野原は赤土が多くて、雨が降ると泥濘となる。その上、戦車の轍(わだち)が幾筋もあって極めて歩き難い。でも健気な妻は、夫に愛児を見せようと、慎重な一歩一歩を進めるのだ」(「俳句研究」2001年3月号)。さながら無罪放免の感があるが、当人や家族の喜びは、いかばかりだったろう。赤ん坊を早く見せたくて、若妻は転ばないように慎重に歩を進めながらも、きっとそのうちには裾の汚れなど気にせぬほどの早い足取りとなっただろう。わずか半世紀少々前の、これが庶民の当たり前の現実であった。そしていまもなお、お隣りの韓国をはじめとして、徴兵制を敷いている国はたくさんある。そんな「世界の現実」を普段はすっかり忘れているが、とにもかくにもこの国に徴兵制がないことを、私たちはもっともっと喜びと誇りとしなければ……。日本の春の泥道はいま、たしかに歩きにくい。しかし、いくら歩きにくくたって、まだ歩けないほどではないのである。揚句での「泥濘」は、徴兵制そのものの暗喩のように、今日の読者に突きつけられているようだ。(清水哲男)


March 0632001

 あけぼのや甕深きより藍は建つ

                           沼尻巳津子

い美しさを湛えた句だ。読後、粛然とさせられる。「あけぼの」といえば、平安朝『枕草子』の昔より春の夜明けを指す。「春暁(しゅんぎょう)」の季語もある。清少納言は「やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」と書いたが、揚句の作者は遠景を見ているのではないだろう。室内か、あるいは庭先くらいまでか。時間的にも、ほんの少し早い時間、明け初めたかどうかという微妙な時間だ。目覚めてすぐに、自分の身近な環境が少しずつ「藍」色に染まっていく様子を捉えている。「藍が建つ」は染色用語。蓼藍を用いた染色法には生葉染(なまはぞめ)と建染(たてぞめ)があり、藍の葉を保存し、季節を問わず染められるように工夫された方法が「建染」である。詳細は省略するが、甕などに保存した藍が還元発酵して、染色可能な状態になることを「藍が建つ」と言う。作者は大きくて古くて深い「甕」の底から建つ「藍」を、いましも周辺に漂いはじめた「あけぼの」の色に照応させている。匂い立つような早朝春色の美しさだ。「朝はいい。金持ちにも貧乏人にも、平等に訪れるから」と言ったのは、遠い時代の外国人だったけれど、揚句のあじわいは国境を越え時代を越えて理解されるだろう。清少納言にも、読ませてやりたかったな。『背守紋』(1989)所収。(清水哲男)

[ 多謝 ]掲載時の揚句についての私の解釈は、「建染」を知らなかった無知による間違いでした。多くの読者からメールやファクシミリでご指摘をいただき、誤りに気がつきました。よって、以上のように改稿します。お一人づつのお名前は掲げませんが、心より感謝しております。ありがとうございました。




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