CD「THE BEATLES 1」を買った。2800円。レコードではみな持っているが、扱いの簡便さに負けた。




2001ソスN3ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0632001

 あけぼのや甕深きより藍は建つ

                           沼尻巳津子

い美しさを湛えた句だ。読後、粛然とさせられる。「あけぼの」といえば、平安朝『枕草子』の昔より春の夜明けを指す。「春暁(しゅんぎょう)」の季語もある。清少納言は「やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」と書いたが、揚句の作者は遠景を見ているのではないだろう。室内か、あるいは庭先くらいまでか。時間的にも、ほんの少し早い時間、明け初めたかどうかという微妙な時間だ。目覚めてすぐに、自分の身近な環境が少しずつ「藍」色に染まっていく様子を捉えている。「藍が建つ」は染色用語。蓼藍を用いた染色法には生葉染(なまはぞめ)と建染(たてぞめ)があり、藍の葉を保存し、季節を問わず染められるように工夫された方法が「建染」である。詳細は省略するが、甕などに保存した藍が還元発酵して、染色可能な状態になることを「藍が建つ」と言う。作者は大きくて古くて深い「甕」の底から建つ「藍」を、いましも周辺に漂いはじめた「あけぼの」の色に照応させている。匂い立つような早朝春色の美しさだ。「朝はいい。金持ちにも貧乏人にも、平等に訪れるから」と言ったのは、遠い時代の外国人だったけれど、揚句のあじわいは国境を越え時代を越えて理解されるだろう。清少納言にも、読ませてやりたかったな。『背守紋』(1989)所収。(清水哲男)

[ 多謝 ]掲載時の揚句についての私の解釈は、「建染」を知らなかった無知による間違いでした。多くの読者からメールやファクシミリでご指摘をいただき、誤りに気がつきました。よって、以上のように改稿します。お一人づつのお名前は掲げませんが、心より感謝しております。ありがとうございました。


March 0532001

 カメラ構えて彼は菫を踏んでいる

                           池田澄子

あっ、踏んづけてるっ。写真を撮る人は、当然被写体を第一にするから、自分の足下のことなどは二の次となる。だから、菫(すみれ)でもなんでも委細かまわずに踏んでしまう。撮られる人もよく撮ってほしいから、たいていはカメラを意識して、撮影者の足下までは見ないものだ。ところがなかには作者のような人もいて、カメラから意識を外すことがある。そうすると、揚句のような情景を見てしまうことにもなる。この場合、とにかくカメラマンは夢中なのであり、被写体はあくまでもクールなのである。そんな皮肉っぽい面白さのある愉快な句だ。句を読んで思い出したのは、松竹の助監督のままに亡くなった友人の佐光曠から聞いた話。『鐘の鳴る丘』(1948)を撮ったことでも有名な佐々木啓祐監督は、シネスコ時代になってから、画面のフレームを決めるのに煙草のピースの箱を使っていた。外箱の底から覗くと、ちょうどシネスコ画面の比率になるそうだ。で、ある日のロケで、いつものようにピースの箱を覗きながら「ああでもない、こうでもない」とやっているうちに、忽然として現場から姿を消してしまった。夢中になっているうちに、監督がなんと背後の川に転落しちゃったという実話だが、百戦錬磨のプロにだって、そういうことは起きるのである。菫を踏むなどは、まだ序の口だろう。作者にはまた「青草をなるべく踏まぬように踏む」の佳句があって、つらつら思うに、とてもカメラマンには向いていない性格の人のようである。『ゆく船』(2000)所収。(清水哲男)


March 0432001

 瞼の裏朱一色に春疾風

                           杉本 寛

の強風、突風である。とても、目を開けていられないときがある。思わずも顔をそらして目を閉じると、陽光はあくまでも明るいので、「瞼の裏」は「朱(あけ)一色」だ。街中でのなんでもない身のこなしのうちに、くっきりと「春疾風(はるはやて)」のありようを射止めている。簡単に作れそうだが、簡単ではない。相当の句歴を積むうちに、パッとそれこそ疾風のように閃いた一句だ。ちなみに天気予報などで使われる気象用語では、風速7メートル以上を「やや強い風」と言い、12メートル以上を「強い風」と言っている。コンタクトを装着していると、7メートル程度の「やや強い風」でも、もうアカん(笑)。その場でうずくまりたくなるほどに、目が痛む。だからこの時季、街角で立ち止まって泣いているお嬢さんに「どうしましたか」などと迂闊に声をかけてはいけない。おわかりですね。この春疾風に雨が混じると、春の嵐となる。大荒れだ。ところで私事ながら、今日は河出書房で同じ釜の飯を食い、三十年以上もの飲み仲間であった飯田貴司君の告別式である。享年六十一歳。1960年代の数少ない慶応ブントの一員にして、流行歌をこよなく愛した心優しき男。ドイツ語で喧嘩のできた一世の快男子よ、さらば。……だね。天気予報は、折しも「春の嵐」を告げている。すぐに思い出すのは石田波郷の「春嵐屍は敢て出でゆくも」であるが、とうていこの句をいま、みつめる心境にはなれない。まともに、目を開けてはいられない。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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