新幹線のボルトが吹っ飛ぶように、日本のそれも吹っ飛びつづけだ。もう車輪も外れてんじゃないのか。




2001ソスN3ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0232001

 春潮を入れて競艇場休み

                           星野恒彦

ースの開催日には、けたたましいエンジン音で喧騒を極める競艇場も、休みとなれば静かなものだ。水面は、次第に藍色を濃くしてきた春の潮をたっぷりと入れて、明るく輝いている。騒がしいのが常識の場所だけに、句景の静けさが際立つ。「ああ、春だなあ」という作者の感慨が、じかに伝わってくるようだ。素材の妙。好奇心から、たいていの遊び事や賭け事には手を出してきたが、競艇(ボート)とは無縁のままだ。あちこち移り住んだけれど、近くに競艇場がなかったからである。あれば、間違いなく損をしに行っていただろう。したがって、私の知る競艇場は、数えきれぬほど往復した東海道線からちらりと見える浜松近辺(だと思う)のそれだけだ。それだけでも、掲句の雰囲気はよくわかるような気がする。何年か前に中学の同窓会旅行で下関に出かけたとき、酒席での友人たちの話題が、自然にボートに傾いていったのには驚いた。こちらは賭け方の方法も知らなければ、もちろん選手の名前など一人も知らない。会話から、完全にはじき出されてしまった。黙っている私に、声あり。「てっちゃんは、ボートやらんのか。マジメじゃからねえ……」。大いなる誤解だが、抗弁はしなかった。翌日は日曜日。帰るために下関駅に向う途次、そこここで、競艇の予想紙を食い入るように眺めている男や女を何人も見かけた。その街には、その街ならではの楽しみがあるのだ。もう一日滞在できたら、確実に足を運んでいただろう。惜しいことをした。『麥秋』(1992)所収。(清水哲男)


March 0132001

 時刻きゝて帰りゆく子や春の風

                           星野立子

が子のところに遊びに来ていた子供が「おばさん、いま何時ですか」と聞きに来た。時刻を告げてやると、「もう帰らなくては……、ありがとうございました」と帰っていった。その引き上げ方が、「春の風」のように気持ちの良い余韻を残したのである。日は、まだ高い。もっと遊んでいたかっただろうに……。躾けのゆきとどいた清々しい良い子だ。昔の子供は母親から帰宅すべき時間をきつく言い含められて、遊びに出かけたものだ。無論いまでもそうだろうけれど、しかし、昔の門限はとてつもなく早かったように思う。日のあるうちに帰らないと、叱責された。親が帰宅時間を言い含めたのは、多く他家に迷惑をかけたくないからという理由からだったが、本音は外灯もろくにない暗い道を一人で帰らせるのが不安だったからではあるまいか。かなりの都会でも、夜道はとても暗かったのだ。そんな子供にとって気になるのは「時刻」であるが、現在のように子供部屋にまで時計があるわけではない。一家の茶の間に、柱時計一台きりが普通。だから、しょっちゅう「おばさん」に聞かなければならない。私も経験があるけれど、帰りたくなくて「時間よ、止まれ」くらいの思いで「おばさん」に聞いたものだった。逆に大人になってからも、表で遊んでいる見知らぬ子に「いま何時ですか」とよく聞かれたが、最近ではそういうこともなくなった。みんな腕時計くらいは持っているし、第一、表で遊ぶ子供たちが少なくなってしまったからである。ちなみに、掲句は1939年(昭和十四年)の作。『続立子句集第一』(1947)所収。(清水哲男)


February 2822001

 如月も尽きたる富士の疲れかな

                           中村苑子

季の富士山は積雪量が多く、ことのほか秀麗な姿を見せているそうだ。私の住む三鷹市あたりからも昔はよく見えたようだが、いまは簡単には見えなくなった。近くの練馬区富士見丘(!)からも、見えなくなって久しい。それはともかく、ご承知のように、季語には山を擬人化した「山眠る」「山笑ふ」がある。卓抜な見立てだが、しかし同じ山でも、富士山だけには不向きだなと、掲句を読んで気がついた。冬の間の富士山は、どう見ても眠っているとは思えない。むしろ、眼光炯々として周囲を睥睨しているかのようだ。肩ひじも張っている。だから、寒気の厳しい「如月」が終わるころともなると、さすがに疲れちゃうのである。春霞がかかってきて、いささかぼおっとした風情を見て、作者はそう感じたのだ。この感覚は、寒い時季をがんばって乗りきってきた人間の「疲れ」にも通じるだろう。「疲れ」からとろとろと睡魔に引き込まれていくかのような富士山の姿はほほ笑ましくもあるが、どこかいとおしくも痛ましい。「疲れ」という表現には、微笑に傾かずに痛ましさに傾斜した作者の気持ちがこめられているのだ。言わでものことだが、痛ましいと思う気持ちは愛情に発している。作者は、今年一月五日に亡くなった。享年八十七歳。振り返ってみれば、中村苑子は徹底して痛ましさを詠みつづけた希有の俳人であったと思う。しかも、自己には厳しく他には優しく……。このことについては、折に触れて書いていきたい。「凧なにもて死なむあがるべし」。「凧」は「たこ」と読まずに、この場合は「いかのぼり」と読む。新年ではなく春の季語。『水妖詞館』(1975)所収。(清水哲男)




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