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February 2422001

 春の波見て献立のきまりけり

                           大木あまり

者がいるのは海辺だろうか、それとも川や池の畔だろうか。のどかな波の様子を眺めている。「ひらかなの柔らかさもて春の波」(富安風生)。見ているうちに、はたと「献立」を思いつき、それに決めた。「献立」の中身は何も書いてないけれど、どんな料理かをちょっと知りたくなる。想像するのは楽しいが、案外「春の波」のイメージとは遠くかけ離れた献立かもしれない。えてして「思いつき」は、思いがけないきっかけから生まれ、とんでもない方向に飛んでいく。揚句のテーマは、むろん献立の中身などではない。「きまりけり」の安心感、ほっとした気持ちそのことにある。こういう句を、昔の男はいささか差別的に「台所俳句」と称したが、台所にこそ俳句の素材がぎっしり詰まっていることを、浅薄にも見逃していたわけだ。反対に、たとえば画家は洋の東西を問わず、早くから台所に注目していた。私自身も、詩のテーマや素材に困ると、いまだに台所を見回す。料理の素材である野菜や魚、道具である鍋やフライパンの出てくる詩を、いくつ書いたか知れないほどだ。ただ私のように日常的に献立を考えない人間は、素材や道具には目が行き想像力を働かせても、揚句のような気持ちに届くことは適わない。作者は台所を、いわば戸外に持ちだしているのであり、つまり台所を自身に内蔵しているのでもあって、ここに私との大きな差がある。それにしても、主婦(とは限らぬが)の三度三度の「思いつき」能力には感心する。そこらへんのプロよりも、はるかに凄い。プロは答えの見えたジグソー・パズルを組むだけでよいのだが、主婦はそのたびに白紙に絵を描いていくのだから。『火球』(2001)所収。(清水哲男)




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