小児喘息で死にかけ空襲で窒息しかけ栄養失調で倒れかけ、六十三歳。おめおめと爺さんになりかけ…。




2001ソスN2ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1522001

 宿の灯や切々闇に芽吹くもの

                           清水哲男

うか「切々」は「きれぎれ」と読まずに「せつせつ」と読んでください。さて、年に一度の誕生日、したがって「増俳」も年に一度の無礼項なり(笑)。自註をくっつけるほど偉そうに振る舞える句でもないけれど、ちょっとコメント。なぜ、日本旅館にしても洋風のホテルにしても、部屋の燈火はあんなに薄暗いのだろうか。宿には夕暮れ以降に入ることが多いので、特にその印象が強い。玄関辺りの明るさにやれ嬉しやと思ったのも束の間、通された部屋の灯が薄らぼんやりしているのにはがっかりする。まともに新聞も読めやしない。仕方がないので点けられる電気はみんな点けて、ついでに見たくもないテレビまで点けてみるが、まだ暗い。こういう不満がわいてくるのは、むろん一人旅のときである。暗いから、いよいよ一人旅の侘びしさはつのってしまう。人間とは妙なもので、こういうときには、なんとなく窓を開けてみたりする。表にはボオッと水銀灯(もどき)が灯っていたりするけれど、ほとんど何も見えないことくらい、あらかじめ承知している。だけど、開けてみたくなる。開けてみて、あちこち見回したりする。なんにも見えっこないのにね。で、ここからが句のテーマ。外の様子は見えないが、四季それぞれの季節感は流れ込んでくる。春夏秋冬、窓を開ければその土地ならではの自然の「気」が風に乗ってくる。揚句では、そんな早春の「気」をつかまえたつもり。やがてはむせ返るような若葉の季節への予兆が、ここにある。そう思うと、やはり「芽吹き」は「切々」でなければなるまい。窓を閉めて薄暗い燈火の下に戻ると、ますますその感は深くなる。生命賛歌であると同時に、晩年に近いであろう自分の感傷的な切なさとを、それこそ「切々」と重ね合わせてみた次第。しょせん人生なんて「一人旅さ」の、つもりでもある。最近は、年間二百句ほど作っている。「自薦句」にしてはいやに古風なのだけれど、最新句なので、あえてお目汚しは承知の上で……。(清水哲男)


February 1422001

 砂漠越ゆ女神たのみの春飛行

                           松村多美

書に「ラスベガス二句」とあるうちの一句。砂漠の人工都市ラスベガスに入るには、まるで「蚊とんぼ」のような頼りない雰囲気の飛行機に乗る必要がある。昔は、よく墜落した。だから必然的に「女神たのみ」の心持ちになる。巧みな句だと思う。私が最初にラスベガスに出かけたのは、仕事のためだった。生来の高所恐怖症も伴って、この飛行機には生きた心地がしなかった。「女神たのみ」などぜいたくなことは言っていられない。「ワラ」にもすがりたい思い。「春飛行」の暢気な風情は、カケラもなかったのである。と、体験した人にはよくわかる揚句だが、作者が書き留めておきたかった気持ちもよくわかるが、他の読者にはどうだろうか。最近は、海外に取材した句が増えてきた。虚子や漱石あたりが出かけていった戦前にも海外句はあるが、当時は物珍しさも手伝って読まれたのだろう。絵はがきかスナップ写真みたいに、だ。いまは旅行事情が激変しているので、そうもいかない。日本にいるときと同じ作句態度が要請される。が、私の狭量にも原因がありそうだが、行ったことのない外国が読まれていると、ちっとも面白く感じない。風土文物などが実感的にわからないので、感覚が届かないのである。国内であれば、未知の土地の句でも、それなりに推量はできる。外国は、さっぱりいけない。手がかりがない。これからも海外句は増えていくだろうが、未知の読者に向けて、一句や二句でその土地を言い当てるのは無理ではなかろうか。他に何か、芭蕉の『おくのほそ道』みたいな方法でも工夫しないと……。考えてみれば、芭蕉の紀行文は海外レポートみたいな要素をたくさん含んでいる。『森を行く』(2001)所収。(清水哲男)


February 1322001

 アイロンは汽船のかたち鳥曇

                           角谷昌子

語は「鳥曇(とりぐもり)」で、春。雁や鴨などの渡り鳥が北方へ帰っていくころの曇り空を言う。春の曇天には人の憂いを誘うような雰囲気があり、帰る鳥たちの淋しさ、哀れさに通じていて味わい深い。「また職をさがさねばならず鳥ぐもり」(安住敦)。「鳥雲に(入る)」という季語もあって、物の本には『和漢朗詠集』の「花ハ落チテ風ニ随ヒ鳥ハ雲ニ入ル」に発すると書いてある。現代人である私たちの半ば故無き「春愁」の思いも、元はと言えば、自然とともにあった祖先の感覚につながって発現してくるのだろう。「少年の見遣るは少女鳥雲に」(中村草田男)。揚句は、そうした古くからの「鳥曇」の情緒を、現代の感覚でとらえかえした試みとして注目される。それも「アイロンは汽船のかたち」と童心をもって描くことで、遠くに帰っていく鳥たちの姿や行く手に明るさを与えている。私たちが沖を行く汽船に淋しさや哀れさを感じないように、鳥たちのいわば冒険飛行に期待と希望をこめて詠んでいる。この「鳥曇」は、実にふんわりとあたたかい感じのする曇り空だ。アイロンがけをしている作者の姿を想像すると、上機嫌で「シロイケムリヲハキナガラ、オフネハドコヘイクノデショウ……」と童謡の一節くらいは口ずさんでいるように思えてくる。『奔流』(2000)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます