新宿文化センターで余白句会。加藤温子(俳号・花緒)さんの追悼句会でもある。思い出いっぱい。




2001ソスN1ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2812001

 鯛焼の頭は君にわれは尾を

                           飯島晴子

ツアツの「鯛焼(たいやき)」を二人で分かち合う。しかも、餡の多い「頭」のところを「君」に与えている。それこそアツアツの情景だ。なんの企みもない句。飯島晴子の署名がなければ、「へえ、ご馳走さま」でもなく、簡単に見逃してしまうような句だろう。実は揚句は、亡き夫を偲んで書かれた句である。そういうことは、句集を読まないとわからない。前年の六月に、作者は夫と死別している。そのときには「藤若葉死人の帰る部屋を掃く」と、いかにも飯島さんらしい気丈な作風の一面を見せているが、死別後一年以上を過ぎた「鯛焼」の季節になって、いじらしいほどに気弱くなったようだ。新婚時代の、たぶん貧乏だった生活を思い出している。したがって、句の「われ」は作者ではない。「君」のほうが作者でなのあって、「われ」であった夫の優しさをさりげなく詠んでいるのだ。ところで、こうした説明がないと味わえない句は「よい作品ではない」とお考えの読者もおられるだろう。テキストがすべてのはずだ、と。お気持ちは、わかります。でも逆に、私はここに俳句のよさを認めたい気がしています。作者には、誰にだって個人的な事情があり、そのなかでの創作ですから、なるべくテキストだけでわかるように書きたいのはヤマヤマなれど、たまにはこんなふうに書きたくなる事情も発生する。その事情を殺して書くことも可能かもしれないが、揚句で言うと、わかる人だけにわかってもらえば「それでよし」としたほうが、より人間的な営みとなる。だから作者はきっと、この句を平凡なアツアツ句と読まれても、いっこうに構わないと思っていただろう。人には事情がある。俳句は、そのことを常に意識してきた文芸だ。『寒晴』(1990)所収。(清水哲男)


January 2712001

 独り碁や笹に粉雪のつもる日に

                           中 勘助

の祖父も囲碁好きで、よく「独り碁」を打っていた。囲碁は長考を伴うゲームだから、そんな祖父の周辺には、いつも静寂の気があった。作者は『銀の匙』などで知られる作家。詩集もあり、短歌俳句もよくした。粉雪(作者は「こゆき」と読ませている)の降る日は、とくに寒い。出かける気にもならず、ひとり静かに碁石を並べているのである。考えあぐねて、ふと窓外に目をやると、庭の笹には雪が積もっている。しばし笹の雪に目を楽しませて、また作者は碁盤に向かう。小さな碁石の冷たさが、小さな笹の葉の上の雪に通いあい、抒情味の深い句になった。私の気質からすれば、ついに到達できそうもない憧れの世界だ。短気ゆえ、囲碁は下手くそ。相手をねじり倒すことばかりに執して、結局はずたずたにされてしまう。粘り強くないのである。ひとりでじっくりと碁に取り組むなんてことは、金輪際できそうもない。だからこそ、逆に憧れる。閑居して「独り碁」を楽しみ、そのゆったりとした時間が味わえたら、どんなに人間が大きくなった気がするだろうか。いや、実際に大きくなるのだろうか。学生時代に祖父に囲碁を教えてくれと言ったら、「こんなに時間がかかる遊びを、若いうちからやるもんじゃない」と叱られた。恨めしかったが、教えてもらっても駄目だったろう。祖父は、おそらく私の気性を見抜いていたのだ。どうせ、モノにはなるまいと……。雪の日の「独り碁」か。カッコいいなあ。溜め息が出る。『中勘助全集』所収。(清水哲男)


January 2612001

 猟銃も女も寝たる畳かな

                           吉田汀史

題は「猟銃」から「狩」につなげて冬。作者がいるのは、山の宿だ。たぶん、猟場に近い土地なのである。夕食もすんで、ひとりぽつねんと部屋にいる。「さて、寝るとしようか」。と、立ち上がったときの着想だろう。宿屋だから、これまでにいろいろな人が泊まった。「猟銃」を持った男も泊まったろうし、女の客もあったにちがいない。いずれもが、この同じ「畳」の上で寝たのである。その連想から「男」を消して「猟銃」を生かし、「女」をそのままにしたところが、揚句のミソだ。硬質な「猟銃」と柔らかい「女」身との取り合わせが、ほのかなエロティシズムを呼び起こす。もとより作者の頭の中のことではあるが、この見知らぬ「女」の生々しさはどうだろうか。作者とともに、ここで読者もあらためて「畳」に見入ってしまうことになる。揚句で、思い出した。原題は忘れたが、たしかジョセフ・ロージーの映画に『唇からナイフ』というのがあって、タイトルに魅かれて見に行ったことがある。女の「唇」と冷たい「ナイフ」。ポップ感覚に溢れた作品だった。『口紅から機関車まで』という本もあった。揚句は、こういった流れを引き継いだ発想と言えるだろう。一方では、たとえばマリリン・モンロー主演の『荒馬と女』が連想される。このタイトルが「美女と野獣」の系列にあることは明らかで、これもエロティシズムをねらったタイトルだが、「猟銃と女」には及ぶまい。生身と生身とではなく、いわば「機械」と「身体」が反射しあうとき、より「身体」は生き生きと不思議な輝きを帯びるのである。「俳句研究」(2001年2月号)所載。(清水哲男)




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