「岩波文庫」大活字本がまた動き出した。でも、いつまたフリーズするかと思うと気が気ではない。




2001ソスN1ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2712001

 独り碁や笹に粉雪のつもる日に

                           中 勘助

の祖父も囲碁好きで、よく「独り碁」を打っていた。囲碁は長考を伴うゲームだから、そんな祖父の周辺には、いつも静寂の気があった。作者は『銀の匙』などで知られる作家。詩集もあり、短歌俳句もよくした。粉雪(作者は「こゆき」と読ませている)の降る日は、とくに寒い。出かける気にもならず、ひとり静かに碁石を並べているのである。考えあぐねて、ふと窓外に目をやると、庭の笹には雪が積もっている。しばし笹の雪に目を楽しませて、また作者は碁盤に向かう。小さな碁石の冷たさが、小さな笹の葉の上の雪に通いあい、抒情味の深い句になった。私の気質からすれば、ついに到達できそうもない憧れの世界だ。短気ゆえ、囲碁は下手くそ。相手をねじり倒すことばかりに執して、結局はずたずたにされてしまう。粘り強くないのである。ひとりでじっくりと碁に取り組むなんてことは、金輪際できそうもない。だからこそ、逆に憧れる。閑居して「独り碁」を楽しみ、そのゆったりとした時間が味わえたら、どんなに人間が大きくなった気がするだろうか。いや、実際に大きくなるのだろうか。学生時代に祖父に囲碁を教えてくれと言ったら、「こんなに時間がかかる遊びを、若いうちからやるもんじゃない」と叱られた。恨めしかったが、教えてもらっても駄目だったろう。祖父は、おそらく私の気性を見抜いていたのだ。どうせ、モノにはなるまいと……。雪の日の「独り碁」か。カッコいいなあ。溜め息が出る。『中勘助全集』所収。(清水哲男)


January 2612001

 猟銃も女も寝たる畳かな

                           吉田汀史

題は「猟銃」から「狩」につなげて冬。作者がいるのは、山の宿だ。たぶん、猟場に近い土地なのである。夕食もすんで、ひとりぽつねんと部屋にいる。「さて、寝るとしようか」。と、立ち上がったときの着想だろう。宿屋だから、これまでにいろいろな人が泊まった。「猟銃」を持った男も泊まったろうし、女の客もあったにちがいない。いずれもが、この同じ「畳」の上で寝たのである。その連想から「男」を消して「猟銃」を生かし、「女」をそのままにしたところが、揚句のミソだ。硬質な「猟銃」と柔らかい「女」身との取り合わせが、ほのかなエロティシズムを呼び起こす。もとより作者の頭の中のことではあるが、この見知らぬ「女」の生々しさはどうだろうか。作者とともに、ここで読者もあらためて「畳」に見入ってしまうことになる。揚句で、思い出した。原題は忘れたが、たしかジョセフ・ロージーの映画に『唇からナイフ』というのがあって、タイトルに魅かれて見に行ったことがある。女の「唇」と冷たい「ナイフ」。ポップ感覚に溢れた作品だった。『口紅から機関車まで』という本もあった。揚句は、こういった流れを引き継いだ発想と言えるだろう。一方では、たとえばマリリン・モンロー主演の『荒馬と女』が連想される。このタイトルが「美女と野獣」の系列にあることは明らかで、これもエロティシズムをねらったタイトルだが、「猟銃と女」には及ぶまい。生身と生身とではなく、いわば「機械」と「身体」が反射しあうとき、より「身体」は生き生きと不思議な輝きを帯びるのである。「俳句研究」(2001年2月号)所載。(清水哲男)


January 2512001

 寒の水喉越す辛口と思ふ

                           小倉涌史

中の水は、飲みにくい。というよりも、まずは飲む気もしない。でも、揚句の作者は微笑している。「うむ、こいつは辛口だ」と……。べつに名水などを味わうようにして飲んだわけではなく、単なる水道水を必要があって飲んだだけだろう。薬を飲むなどの必要からだ。「辛口」に引摺られて「ははーん、二日酔いだな」と受け取るのは早とちり。なぜなら、酔いざめの水には「辛口」も「甘口」もへったくれあったものではなく、ましてや「喉越す」味わいの微妙さは意識の外にある。悠長に、したり顔をして「辛口」なんぞと思う余裕はないはずだ。そういうことではなくて、作者は寒い場所で、まったくの素面(しらふ)でいやいや仕方なく水を飲んだのだと思う。意を決して飲んでみたら、意外にも喉元を通る感覚が心地よかった。酒で言えば「辛口」だと思った。寒中の水の味も存外いけるなと、作者は内心でにっこりとしたのだ。この体験の新鮮さに、ちょっと酔っていると言ってもよい。私は痛風(『小公子』の主人公・セドリックのおじいさんと同じ病気。これが自慢?!)持ちなので、医者からとにかく大量に水を飲めと言われている。多量の尿酸を一気に排泄するには、いちばん簡便な方法である。暖かい季節は苦にならないが、冬場はしんどい。早朝の一杯が、とりあえずはきつい。でも、年間を通してみて、水の味がするのはこの季節がいちばんではある。飲むときに、ちらっと逡巡する。その逡巡が、その意識が、口中や喉元に受けて立つ構えを作るからだろう。「寒」には「冷」か。たしかに、かっちりとした味を感じる。『受洗せり』(1999)所収。(清水哲男)




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