フィリピンの「ピープルパワー革命」。正直言って羨ましい。堂々たる正面からの寄り切りである。




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January 2112001

 おうおうといへど敲くや雪の門

                           向井去来

蕉が「関西の俳諧奉行」と言った去来の代表作。「敲く」は「たたく」。門をたたく者があるので、なかから「おうおう」と応えたが、聞こえないのか気が急いているのか、まだたたきつづけている。「雪の門」の「雪」の降りしきる様子が、何も書かれてはいないが、目に見えるようだ。さらには、「おうおう」と応える作者の声までもが聞こえてくる。家のなかをゆったりと戸口に出ていく作者と、表をドンドンとたたく訪問者との息遣いの対比が絶妙だ。ドアチャイムやドアホンなどなかった時代には、訪問者はみなこのように門をたたいた。あるいは、大声で来訪を告げた。元禄の昔はもちろんだが、戦後しばらくまでも同様だった。子供の頃、友人宅に遊びに出かけたときは、たいてい大声で名前を呼んだものである。「○○ちゃん、アソぼうよ」と、まことに直截な挨拶を送っていた。何度呼んでも応えがないときもあり、玄関の扉に耳をくっつけるようにしてナカの様子をうかがったりした。他家を訪問するときだけではなく、商店に入るときも挨拶が必要だった。山口の田舎では「ごめんさんせ」と入ったが、「ごめんください」の地方語だ。「ごめんさんせ」と言うのが、最初はなんとなく大人ぶっているようで、気恥ずかしかったことを覚えている。いまでは、たたくことも声を出すこともない。誰もがヌーッと、どこにでも入っていく。便利な世の中になったものだが、「ごめんさんせ」の世代にはどこか不気味だ。このところ我が家のチャイムは不調で、ボタンを押しても鳴らなかったりする。そんなときに必ず扉をたたくのは、宅配便の人。きっと「原点に戻れ」と、マニュアルに書いてあるのだろう。「おうおう」と応えても聞こえないので、扉を開けるまでたたいてくれる。ご苦労様です。(清水哲男)


January 2012001

 嚢中に角ばる字引旅はじめ

                           上田五千石

中(のうちゅう)の「嚢」は、氷嚢(ひょうのう)などのそれと同じ「嚢」。袋、物入れの意。この場合は、スーツケースというほどのものではなく、小振りで柔らかい布製のバッグだろう。旅先で必要なちょっとした着替えの類いのなかに「字引」を一冊入れたわけだが、これがまことに「角ばる」ので収まりが悪い。「字引」とあるが、歳時記かもしれない。「歳時記は秋を入れたり旅かばん」(川崎展宏)。こういう句を読むと、あらためて「俳人だなあ」と思う。俳人は、その場その場で作品を完成させていく。旅先では句会もあるし、いつも「字引」が必要になる。帰宅してから参照すればよいなどと、呑気に構えてはいられない。だから「角ばる字引」の収まりが悪い感覚は、俳人の日常感覚と言ってよいだろう。多く俳人は、また旅の人なのだ。その感覚が年末年始の休暇を経た初旅で、ひさしぶりによみがえってきた。さあ、また新しい一年がはじまるぞ。「角ばる字引」のせいで少しゆがんだバッグを、たとえば汽車の網棚に乗せながら得た発想かと読んだ。私は俳人ではないから、いや単なる無精者だから、旅に本を携帯する習慣は持たない。たまに止むを得ず持っていくときには、収まりは悪いは重いはで、それだけで機嫌がよろしくなくなる。何か読みたければ、駅か旅先で買う。そして、旅の終わりの日には処分する。めったに持ち帰ったことはない。そうやって、いちばんたくさん読んだのが松本清張シリーズである。『俳句塾』(1992)所収。(清水哲男)


January 1912001

 罠ありと狸に読めぬ札吊りし

                           村上杏史

語は「狸」で冬。狐も冬だが、冬期は山中に餌が乏しくなり、里へ降りてきて人と接触することが多いからだろうか。私の住む多摩地域では、いまでは四季を問わずにひょっこり出現し、新聞ダネになったりする。狸にかぎらない。現代の山は食料難だから、我が故郷では野猿が跳梁し難儀していると聞く。さて、揚句はそのまんま句だけれど、なんとなく可笑しい。人を化かすのは得意な狸だが、哀しいかな文字が読めないのだ。狸は通り道も決まっているそうで、罠も仕掛けやすい。このあたりも間抜けといえば間抜けで、古来言われてきた狸の愛嬌に通じる。捕獲した狸は、毛皮はコートなどの防寒具に、肉は食用(狸汁)とし、毛は毛筆などに加工された。狸毛の筆は柔らかで、まことに書きやすい。狸の句といえば、漱石に「枯野原汽車に化けたる狸あり」の謎のような一句がある。アニメ『となりのトトロ』の化け猫バスじゃあるまいし、いかな狸でも汽車には化けられないだろう。そう思ってきたが、柴田宵曲『俳諧博物誌』によれば、狸はいつの時代にも新事物の研究に熱心で、汽車に化けた狸の話は全国的にあったそうだ。漱石の突飛な発想ではないらしい。ただし、姿を汽車に変えたのではなくて、音を真似たというのが宵曲の推理である。狸の腹鼓というくらいで、狸は音作りにかけては名手なのである。この推理を得て漱石句を読むと、なるほど「枯野原」を轟々と突っ走る見えない汽車の不気味さが伝わってくる。ただ残念なことは、狸の新事物研究の成果も「汽車」止まりで、その後の新しいものに化けた話は聞かない。どんなに秘術を尽くしても人が驚かなくなったので、つまらなくなっちゃったのだろうか。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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