Netscape6をインストール。コンセプトは面白い。でも、こんなに不安定じゃなあ。でも、面白い。




2001ソスN1ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1312001

 戸口より日暮が見えて雪の国

                           櫛原希伊子

の演出もないから、外連味(けれんみ)もない。こういう句もいい。雪国というほどではなかったが、ときに休校になるほどは降った故郷を思い出す。何も考えずに、戸口からぼおっと暮れてゆく雪景色を見ていた。土間の冷えは厳しいが、それよりも周辺が暗くなりはじめ、やがて風景が真っ白な幻想の世界一色へと変わっていく様子に魅かれていた。奥の囲炉裏で盛んにぱちぱちと火のはねている音も、懐かしい。だいたいが「夕暮れ」好きで、春も「あけぼの」ではなくて「夕暮れ」だ。性格がたそがれているのかもしれないけれど、たぶん「夕暮れ」からは、義務としての何かをしなくてもよい時間になるからなのだろう。とくに子供の頃は、夜になると、何もすることがなかった。テレビもラジオも、ついでに宿題もなかったので、ご飯がすんだら寝るだけだった。ランプ生活ゆえ、本も読めない。布団にもぐり込んでから、いろんなことを空想しているうちに、眠りに落ちてしまった。考えてみれば、「夕暮れ」以降の私は、鳥や獣とほとんど同じ生活をしていたわけだ。そうした無為の時間を引き寄せる合図が、長い間、私の「夕暮れ」だったので、いつしか身体に染みついたようである。大人になったいまも、夜に抗して何かをする気にはならないままだ。原稿も、夜には書かない。だから「夕暮れ」になると、一日はおしまいだ。大げさに言えば、その時間で社会とは切れてしまう。そんな気になる。ずっと以前に、その名も「夕暮れ族」なる売春組織が摘発されたことがある。新聞で読んで、ネーミングだけは悪くないなと思った。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


January 1212001

 マスクして我と汝でありしかな

                           高浜虚子

拶句だ。前書に「青邨(せいそん)送別を兼ね在京同人会。向島弘福寺」とある。調べてはいないが、山口青邨が転勤で東京を離れることになったのだろう。1937年(昭和十二年)一月の作。国内での転勤とはいえ、当時の交通事情では、これからはなかなか気軽に会うこともできない。そこで送別の会を開き、このような餞(はなむけ)の一句を呈した。お互いがいま同じようなマスクをしているように、同じように俳句を作ってきたので、外見的には似た道を歩んできたと言える。だが、振り返ってみれば「我」と「汝」はそれぞれの異なった境地を目指してきたことがわかる。これからも「汝」は「汝」の道を行くのであろうし、「我」は「我」の道を行く。どうか、元気でがんばってくれたまえ。大意はこういうことであろうが、目を引くのは句における「我」と「汝」の位置関係だ。青邨は虚子の弟子だったから、第三者が詠むのであればこの順序が自然だ。ところが、虚子はみずからの句に自分を最初に据えている。餞なのだから、こういうときには先生といえども、多少ともへりくだるのが人の常だろう。しかし、虚子はそれをしていない。「我」があって、はじめて「汝」があるのだと言っている。「我」を「汝」と対等視したところまでが先生の精いっぱいの気持ちで、それ以上は譲れなかった。いや、譲らなかった。大虚子の昂然たる気概が、甘い感傷を許さなかったのだ。マスクに覆われた口元は、への字に結ばれていたにちがいない。『五百五十句』(1943)所収。(清水哲男)


January 1112001

 目隠しの闇に母ゐる福笑ひ

                           丹沢亜郎

集には、つづけて「ストーブの油こくんと母はなし」とあるから、亡き母を偲ぶ句だ。「福笑ひ」は、目隠しをしてお多福の面の輪郭だけが描かれた紙の上に、目鼻や口などの部品を置いていく正月の遊び。珍妙な顔に仕上がるほうが喜ばれる。最近は、さっぱり見かけなくなった。ほんの戯れ事ながら、お多福は女性なので、作者は「目隠しの闇」のなかで不意に母の面影を思い出したのだろう。となれば、珍妙に仕上げるどころか、逆にちゃんとした顔を作りたいと真剣になっている。そんな作者の気持ちはわからないから、周囲ははやし立てる。ストーブの句でもそうだが、死しても「母」は、いつでもどこからでも子供の前に立ち現れるのだ。句はさておいて、私はこの遊びが好きではなかった。変な顔、珍妙な顔を笑うということがイヤだったからだ。博愛主義者でもなんでもないけれど、人並みではないからといって、それを笑いの対象にする心根が嫌いだった。いまでも身体的なことにかぎらず、そういう笑いは嫌いだ。だから、珍妙な顔をしてみせて笑いをとる芸人も大嫌いで、テレビを見て最初に嫌いになったのは柳家金語楼という落語家だった。自虐的だからよい、というものではない。この自虐は、他人の欠陥を笑うという下卑た感覚におもねっているから駄目なのである。ましてや、いまどきのテレビにやたら髭などを描いて出てくるお笑いるタレントどもは、最低だ。あさましい。みずからの芸無しを天下に告白しているようなもので、見てはいられない。『盲人シネマ』(1997)所収。(清水哲男)




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