そろそろ、カレーライスだとかラーメンだとかが食べたくなりますね。まだ三日目、よいお正月を。




2001ソスN1ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0312001

 羽子板の重きが嬉し突かで立つ

                           長谷川かな女

子板は女の子の世界のもの。後藤夜半に「羽子板の冩楽うつしやわれも欲し」があって、自分が女の子でないことを残念がっている。この気持ちは、よくわかる。買って買えないことはないのだけれど、買ったからといってどうにもならない。結局は、持て余すだけだろうからだ。もっとも「冩楽うつし」というのであれば、羽子板市で売っているような飾り物としての豪華な羽子板かもしれない。だとすると、なおさらだ。ところで、揚句の羽子板はそうした飾り物ではない。ちゃんとそれで遊べるのだが、安物ではない上等な羽子板なのだ。だから、手に重い。こんなに立派な羽子板を手にしたのははじめてなので、嬉しくて仕方がないという風情。表では、友だちの羽根つきが賑やかにはじまっている。いっしょに遊ぼうと飛び出していって、しかし、すぐには加わらず、しばらくは羽子板の重さを楽しんで立っている。そしておそらく、羽子板は友だちからは見えないようにして持っているのだと思う。ちょっと後ろ手気味にして……。みんなが見たら、きっと「いいなあ」と言うだろう。その一瞬が恥ずかしくもありまぶしくもあって、すっと仲間の輪に入れない気持ちも込められている。ここに夜半のような人が通りかかれば、たちまちに「突かで立つ」女の子の気持ちを見抜いて、そのいじらしさ可愛らしさに微笑を浮かべるにちがいない。この句は、虚子に「女でなければ感じ得ない情緒の句」と推奨された。かな女初期の代表作である。『龍膽』(1910-29)所収。(清水哲男)


January 0212001

 御降りや今年いかにと義父の問ふ

                           守屋明俊

父が存命のころは、例年家族で大阪まで挨拶に出かけた。挨拶の座で、必ず「今年いかに」と問われた。それも、実にさりげない調子で……。しかし、さりげないだけに、聞かれたほうはドキリとする。なにせ世に言う正業に就いていない身だからして、問われてもきちんとは答えられないからだ。「まあ、なんとか」などと、曖昧な返事をするしかなかった。義父の質問は、もとより娘の身を案じてのことである。もっと景気のいい返事を聞いて安堵したかったのだろうが、一度もそのようには答えられなかった。私も「義父」と呼ばれる立場になってより、娘婿に会うたびに問いたくなる。ただし相手はドイツ人だから、さりげなくも何も、どう尋ねてよいのかがわからない。そんなドイツ語は、学校で教えてくれなかったからなア(笑)。この正月はあちこちの家で、正業に就いている男たちにも、さりげなくも鋭い質問が投げかけられているのではあるまいか。季語は「御降り(おさがり)」。元来は元日に降る雨を言ったようだが、いまでは三が日の雨降りを言う。雪にも使う場合がある。「御降りのかそけさよ父と酒飲めば」(相生垣瓜人)。こちらは、実父だ。父親と呑んではいるけれど、会話ははずんでいない。初春の雨の音が、かそけく聞こえてくるばかり。父と息子との関係は、たいていがこのようなものだろう。そこに、味わいもあるのだが。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


January 0112001

 二十世紀なり列国に御慶申す也

                           尾崎紅葉

ょうど百年前(明治34年)の元日の句。紅葉33歳。俳句で「列国」に挨拶を送るところなど、往時の若き明治人の気概のありようがうかがえる。意気軒高とは、このことだ。「讀賣新聞」で有名な『金色夜叉』の筆を起こしたのが、作句の三年前。結局未完に終わっているが、金の力で世間を牛耳ろうとした主人公の考え方は、そのまま明治帝国主義の目指した道でもあった。「列国」の一つが愛する女を奪った富山唯継だとすれば、復讐の鬼と化す間寛一は、さしずめ明治国家だろう。こんな言い方もあながち冗談ではないなと、揚句をはじめて読んだときに思った。「列国」という表現そのものが、すでに「制覇」の意識を内包している。紅葉が国家主義者であったとは言わないが、明治の知識人の多くが、無意識にもせよ、いわば国家意識高揚の一翼を担っていたとは言ってもよい気がする。国家の威信が感覚的にも我が身に乗り移っていなければ、こんなことは言えるはずもない。その意味で、大衆性を持った紅葉文学は、社会的に役に立つそれなのであった。以来、百年。「列国」も死語同然になり、どんな文学も社会の実際の役には立たなくなった。二十一世紀の今日元日に目覚めて、揚句のごとき心境になる日本人は、おそらく一人もいないだろう。たった百年のうちに、日本も世界も大きく変わった。これからも、どんどん変化していくだろう。変わりつつ、否応なく国家や国家意識などは解体されていくにちがいない。新世紀に大きな見どころがあるとすれば、このあたりではないだろうか。私たちには、まだ揚句の言わんとすることはわかる。しかし、あと百年もすればわからなくなること必定だろう。『俳句の本』(2000・朝日出版社)所載。(清水哲男)




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