さあ、ラスト・ウイーク。と言って、実は私の仕事環境には関係がない。元日から仕事なのです。




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December 25122000

 悲しみの灯もまじる街クリスマス

                           堀口星眠

リスマスの街は、はなやかだ。行ったことはないけれど、毎年テレビで報道されるニューヨークの街の灯などは、ちらと見るだけで楽しくなる。わくわくする。が、そうした華麗な灯のなかに「悲しみの灯も」まじっているのだと、作者は言う。はなやかな情景に、悲しみを覚える心。詩人の第一歩は、このあたりからはじまるようだ。その意味で揚句は、詩人の初歩の初歩を踏み出したところにとどまってはいるが、しかしクリスマスの句としては異彩を放っている。類句がありそうで、ないのである。私事ながら、昨日、辻征夫などとともに、同人詩誌「小酒館」のメンバーであった加藤温子さんが急逝された。しかも加藤さんはキリスト者であられたから、揚句の訴えるところは身にしみる。この句は以前から知ってはいたが、身近な方に亡くなられるてみるまでは、こんなにも心に響くとは思ってもみなかった。私の持論で、俳句は「思い当たりの文学」と言いつづけてきたけれど、ますますその感を深くすることになった。作者の「悲しみ」は、知らない。知らないが、透き通るように、私の悲しみは揚句と重なり合う。作者はみずからの「悲しみ」をあえて伏せ、「思い当たる」読者にだけ呼びかけて応えてくれれば、それでよしと考えたのだろう。悪く言えば、罠を仕掛けたわけだ。その罠に、今日の私は、てもなくかかったという次第である。作者は「普遍」をもくろみ、読者は機会次第で、その罠にかかることもあり、かからないこともあるということ。これも、俳句の面白さだ。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


December 24122000

 天に星地に反吐クリスマス前夜

                           西島麦南

い読者のなかには、句意をつかめない人がいるかもしれない。私が大学生くらいまでは、クリスマス・イブというと、大人の男どもがキャバレーかなんかでドンチャン騒ぐ日だった。翌日の朝刊には必ず、銀座で騒いでいる三角帽子をかむったおじさんたちの写真が載ったものだ。いまのように、父親が3000円(今年の売れ筋価格だと吉祥寺の洋菓子店「エスプリ・ド・パリ」の社長に聞いた)のケーキを抱えて早めに帰宅するなんてことは、一般には行われていなかった。だから「天に星地に反吐」なのだ。加えて作者は、キリスト者でもない男たちが、わけもなく呑んで騒ぐ風潮を冷笑している。句の裏に、作者の渋面が見えるようだ。私はそんなおじさんたちよりも少し遅れた世代だから、イブのキャバレーは知らないが、当時の喫茶店には痛い目にあったことがある。コーヒーを注文したら、頼んでもいないケーキがついてきた。尋ねると、イブは「スペシャル・メニュー」だと言う。コーヒーだけでよいと言うと、また「スペシャル・メニュー」ですからと言う。要するに、コーヒーだけの注文は受け付けないのだった。突然にそんなあくどい商売をやっても、けっこう繁盛したころもあったのだ。女友だちもいなくて、イブに何の思い入れもなくて、ただひとりでコーヒーを飲みたかっただけの私は、さて食いたくもないケーキをどうしてくれようかと考えた。帰り際に、静かに皿ごと足下にひっくり返し、丁寧にぎゅうっと押さえつけておいた。その店の「天に星」があったかどうかは忘れたが、「地」には確実に「反吐」状のケーキが残った(労働者のお嬢さん、ごめんなさい)わけだ。表に出ると、ちらりと白いものが舞い降りてきた。でも、いま思い出して、悪い時代でもなかったなと感じる。めちゃくちゃだったけど、けっこう面白かったな。『福音歳時記』(1993)所載。(清水哲男)


December 23122000

 京に入りて市の鯨を見たりけり

                           泉 鏡花

者は、ご存知『婦系図』などで知られる小説家。師であった尾崎紅葉の影響だろうか、俳句もよくした。季語は「鯨」で冬。日本近海には、冬期に回遊してくるからだ。揚句に詠まれた情景は読んで字のごとしだが、「見たりけり」の詠嘆はどこから来ているのだろうか。おそらくは、こうである。嵐山光三郎の『文人悪食』によると、鏡花は極度の食べ物嫌悪症であった。黴菌に犯されるのを恐れ、大根おろしまで煮て食べたという。酒は徳利が手に持てないほどに沸騰させてから呑み、茶もぐらぐら沸かして塩を入れて飲んだ。この潔癖症は書くものにも伝染し、「豆腐」の「腐」の字を嫌って「豆府」と書いたくらいである。したがって、当然ゲテモノも駄目。それも彼の言うゲテモノは常軌を逸しており、シャコ、タコ、マグロ、イワシは「ゲテ魚」として、特に嫌った。そんなわけで、鏡花が鯨肉を好きだったはずはない。まともな人間の食うものではないと思っていたにちがいない。それが、京の市場にちゃんとした売り物として陳列されていたのだから、たまげた。一瞬、背筋に悪寒を覚えたはずだ。鯨肉なんて「ゲテ魚」は田舎まわりの行商の魚屋が担いでき、安価なので貧乏人が仕方なく食べるものくらいの認識だったろう。京の都などというけれど、こんなものまで食うようではねと、皮肉も混じっている。すなわち「見たりけり」には、見たくないものを見てしまったという「ぞーっ」とした恐怖の気持ちが込められている。けだし「ゲテ句」と言うべきか(笑)。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)




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