今宵はひとりきり。店屋物でもとって、いただいたカステラでも食べて、さっさと寝てしまおう。




2000ソスN12ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 24122000

 天に星地に反吐クリスマス前夜

                           西島麦南

い読者のなかには、句意をつかめない人がいるかもしれない。私が大学生くらいまでは、クリスマス・イブというと、大人の男どもがキャバレーかなんかでドンチャン騒ぐ日だった。翌日の朝刊には必ず、銀座で騒いでいる三角帽子をかむったおじさんたちの写真が載ったものだ。いまのように、父親が3000円(今年の売れ筋価格だと吉祥寺の洋菓子店「エスプリ・ド・パリ」の社長に聞いた)のケーキを抱えて早めに帰宅するなんてことは、一般には行われていなかった。だから「天に星地に反吐」なのだ。加えて作者は、キリスト者でもない男たちが、わけもなく呑んで騒ぐ風潮を冷笑している。句の裏に、作者の渋面が見えるようだ。私はそんなおじさんたちよりも少し遅れた世代だから、イブのキャバレーは知らないが、当時の喫茶店には痛い目にあったことがある。コーヒーを注文したら、頼んでもいないケーキがついてきた。尋ねると、イブは「スペシャル・メニュー」だと言う。コーヒーだけでよいと言うと、また「スペシャル・メニュー」ですからと言う。要するに、コーヒーだけの注文は受け付けないのだった。突然にそんなあくどい商売をやっても、けっこう繁盛したころもあったのだ。女友だちもいなくて、イブに何の思い入れもなくて、ただひとりでコーヒーを飲みたかっただけの私は、さて食いたくもないケーキをどうしてくれようかと考えた。帰り際に、静かに皿ごと足下にひっくり返し、丁寧にぎゅうっと押さえつけておいた。その店の「天に星」があったかどうかは忘れたが、「地」には確実に「反吐」状のケーキが残った(労働者のお嬢さん、ごめんなさい)わけだ。表に出ると、ちらりと白いものが舞い降りてきた。でも、いま思い出して、悪い時代でもなかったなと感じる。めちゃくちゃだったけど、けっこう面白かったな。『福音歳時記』(1993)所載。(清水哲男)


December 23122000

 京に入りて市の鯨を見たりけり

                           泉 鏡花

者は、ご存知『婦系図』などで知られる小説家。師であった尾崎紅葉の影響だろうか、俳句もよくした。季語は「鯨」で冬。日本近海には、冬期に回遊してくるからだ。揚句に詠まれた情景は読んで字のごとしだが、「見たりけり」の詠嘆はどこから来ているのだろうか。おそらくは、こうである。嵐山光三郎の『文人悪食』によると、鏡花は極度の食べ物嫌悪症であった。黴菌に犯されるのを恐れ、大根おろしまで煮て食べたという。酒は徳利が手に持てないほどに沸騰させてから呑み、茶もぐらぐら沸かして塩を入れて飲んだ。この潔癖症は書くものにも伝染し、「豆腐」の「腐」の字を嫌って「豆府」と書いたくらいである。したがって、当然ゲテモノも駄目。それも彼の言うゲテモノは常軌を逸しており、シャコ、タコ、マグロ、イワシは「ゲテ魚」として、特に嫌った。そんなわけで、鏡花が鯨肉を好きだったはずはない。まともな人間の食うものではないと思っていたにちがいない。それが、京の市場にちゃんとした売り物として陳列されていたのだから、たまげた。一瞬、背筋に悪寒を覚えたはずだ。鯨肉なんて「ゲテ魚」は田舎まわりの行商の魚屋が担いでき、安価なので貧乏人が仕方なく食べるものくらいの認識だったろう。京の都などというけれど、こんなものまで食うようではねと、皮肉も混じっている。すなわち「見たりけり」には、見たくないものを見てしまったという「ぞーっ」とした恐怖の気持ちが込められている。けだし「ゲテ句」と言うべきか(笑)。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


December 22122000

 父と娘に煤まじる雪朝の岐路

                           飴山 實

書に「尼崎にて二句」とあり、うちの一句。工業地帯だ。今では改善されているのだろうが、句の作られた戦後間もなくのころには、煤煙がひどかったろう。三十年ほど前に、私も四日市で体験したことがある。あれでは、降る雪も白銀色というわけにはいかない。そんな朝の道を、父親と娘が連れ立って出かけていく。テレビ・コマーシャルの一場面のようだが、汚れた雪では絵にもならない。二人とも、大いに仏頂面であるに違いない。やがて、父親と娘がそれぞれの方向に別れて行く「岐路」にさしかかったというわけだ。いつものように「じゃあね」と別れるだけのことだが、そこに着目して作者は、このなんでもない「岐路」にさまざまな人生のそれを読み取っている。年譜を見たら、父親は作者ではないとわかった。父娘は、単に通りすがりの人だった。この父親は煤煙を排出している工場の従業員かもしれず、娘もまた、そうかもしれぬ。だとすれば、父親は生涯この町で過ごすのだろうし、若い娘はいずれ出ていくのだろう。あるいはまた、父親のほうが汚い雪の降る町なんぞから早く出ていきたいという願望を持っていて、そろそろ決断の「岐路」に来ているのかもしれぬ。等々、揚句から浮かんでくる思いは、読者にとっていろいろだろう。が、いろいろな思いの底に流れるものは共通だ。すなわち、作者の静かなる憤怒の心である。人は、自分の力だけではどうにもならない理不尽を生きていく。煤煙まじりの雪が降ろうと、それはそれとして甘受せざるを得ない。どうにも動かせない劣悪な環境のなかで、とりあえず用意されている「岐路」は、むなしくもただ「じゃあね」と別れる程度のものでしかないのである。はやくから環境問題に取り組んだ作者の、これは哀感を越えた怒りの詩だ。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)




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