あと二週間で今年も暮れる。♪暮れりゃ砂山、潮鳴りばかり……。年末に、なぜか思い出す歌だ。




2000ソスN12ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 18122000

 流れ行く大根の葉の早さかな

                           高浜虚子

れぞ、俳句。中学校の教室で、そう習った。習ったとき、我が家は生活用水として近所の小川を使っていたので、実感として理解はできた。が、一方ではあまりにも当たり前すぎて、句のよさはわからなかった。よさは、流れていく大根の葉だけを詠むことで、周辺の情景を彷彿させるところだろう。昭和三年(1928)の九品仏吟行で得た句というが、このような情景はどこかの地に特有なものではなく、全国的に普通に見られた。すなわち、往時の多くの日本人には、思い当たる情景だった。どのような表現でもそうだけれど、とくに短い俳句では、このように普遍性の高い生活環境や生活条件に下駄をあずけざるをえないところがある。言外の意味を、普遍性ないしは常識性に依存するのだ。そんなことを考えると、俳句の寿命は短い。世の中が変わると、昔の句は滅びてしまう。でも、私はそれでよしと思う。永遠の名作を望むよりも、束の間の命を盛んに燃やしたほうが、潔くてよろしい。おそらく、現代の若者には、この句の味は本当にはわかるまい。あまりにも、日常とは遠い世界の「大根の葉」であり、その「流れ行く早さ」であるからだ。あまりにも、当たり前の事象ではないからだ。まだ教科書に載っているかどうかは知らないが、載っていたとしても、教師には教えようがないだろう。俳句は、読み捨て。教えるとすれば、そういうことしかない。揚句に共感できる人も、みな同じ思いだろう。くどいようだが、それでよいのである。この句は、もはや「これぞ、俳句」のサンプルではなくなりかけてきたということ。(清水哲男)


December 17122000

 炭の塵きらきら上がる炭を挽く

                           川崎展宏

く晴れた日。のこぎりで炭を挽いている。「塵(ちり)」が「きらきら」と舞い上がっている。挽く音までが聞こえてくるようだし、炭の匂いも漂ってくるようだ。言いえて妙。ただ一般論になるが、この光景を美しいと思うかどうかは、読者の立場によるだろう。夏場に氷を配達する人が、道端で氷を挽いているのと同じこと。通りかかった人には、とても涼しげな情景に写るのだけれど、挽いている当人にしてみれば、それどころではない。とてもじゃないが「やってらんねえ」のである。他意はないけれど、労働の現場を詠んだ句には、傍観者の立場からのそれが多い。それはそれでよいとして、詠まれる側からすると、もう少し何とかならないのかなと歯がゆい思いが残ることもある。いつもながらの思い出話になるが、昔の我が家でも炭を焼いていた。自給自足ゆえの、やむを得ぬ所業だった。子供でも、炭を挽いて炭俵につめることくらいはできる。「塵」を浴びながら挽いていると、身体中がこそばゆくなり、もちろん手や顔などは真っ黒になってしまう。べつに苦しい仕事ではないのだが、炭の粉を吸いすぎた胸は、妙に息苦しい感じになった。そんな体験のある子供や大人が、この句を読む。もちろん、感想はまちまちだろう。その「まちまち」のなかで、一点共通するのは、作者が炭を挽く現場の人ではないなという「直感」だ。それはそれで作者には関わり知らぬことながら、働く現場を詠むのが難しいのは、確かなことである。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


December 16122000

 目をかるくつむりてゐたる風邪の神

                           今井杏太郎

ま風邪を引いている人には、おそらく腹立たしい句だろうが、それだけ真に迫った句だ。「風神」は有名だが、「風邪の神」とは初耳だ。でも「貧乏神」がいるくらいだから、「風邪の神」だっていてもよさそうである。いるとすれば、様子はたしかにこのようだろう。瞑目でもなく半眼でもなく、軽く目を閉じている。うっすらと笑みすら浮かべていそうな余裕のある態度で、さて次は誰にとりついてやろうかと、ほんの少し思案している。決して深く考えてなどいないわけで、いつもほとんど悪戯っぽい思いつきの決断をくだすのである。だから、だれかれ構わず気楽にひょいととりついてくる。我々にとっては迷惑至極、困った神様だ。……なんてことをあまり書いていると、今夜あたりとりつかれるかもしれない(笑)が、とにかく上手な句です。いや、上手すぎて「にくい」句と言うべきか。このように、空想の世界を「さもありなん」と伝えるのはなかなかに難しい。が、作者はそのあたりを楽々とクリアーして、いとも簡単そうに詠んでみせている。この肩の力の抜け具合が、なんとも魅力的だ。今後も、要チェックの俳人である。この句に引きずられて、いろいろな神の様子を想像するのも楽しいだろう。それこそ「貧乏神」の私のイメージは、痩身でよれよれしてはいても、目だけはカッと見開いていて冷たい光りを放っていそうだ。しかも居候好きな気質だからして、一度上がりこんできたら、なかなか出ていってくれない。逆に「福の神」はかなり薄情で、さっさと出ていってしまう。『海鳴り星』(2000)所収。(清水哲男)




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