旬の野菜。アサツキ、カブ、ホウレンソウ、コマツナ、ダイコン、ネギ、ハクサイ。野菜は元気だ。




2000ソスN12ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 15122000

 賀状書くけふもあしたも逢ふ人に

                           藤沢樹村

状の相手は、職場の上司か同僚だろう。毎日顔をあわせる人には、なるほど、書きにくい。でも、確実な元日配達を望むとすれば、どうしてもこういう羽目になってしまう。サラリーマン時代に覚えがあるが、年末休暇に入ってから、つい愚図愚図としているうちに、元日になってしまつた。で、上司から丁重な賀状が届いた。嬉しいというよりも、愕然としましたね。ほとんど落ち込んだと言っても過言ではありませんでした。仕方がないので、早速うちましたよ、年賀電報を。身から出た錆とはいいながら、そういうことがあるので、揚句のように、へんてこりんな気持ちで書く人は多いのでしょう。上手な句かどうかは別にして、これもまたこの時期の庶民の哀感の一つ……。しかし、だからといって、このようなシチュエーションで書く年賀状も、単に「虚礼」とは言い捨てられないところがある。誰からであれ、元日に受け取る賀状には、やはりそれなりの喜びがあるからだ。よほどのへそ曲がりな人でなければ、「去年書いた」ことは明白でも、こだわったりはしないだろう。賀状は元日に書くという信念の持ち主も知っているけれど、私は元日に着いてくれたほうが、よほど嬉しい。「礼」の半分以上は「型」だと思う。「型」に「実」を上手にはめ込むのが礼者の心得ではあるまいか。なんだか、俳句に似ている気がします。さあ、大変だ。そろそろ「けふもあしたも逢ふ人に」も、書きはじめなければばなるまい。「けふもあしたも」逢わない週末がチャンスだ。『新日本大歳事記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


December 14122000

 ゐのししの鍋のせ炎おさへつけ

                           阿波野青畝

語は「ゐのししの鍋(猪鍋)」で、冬。「牡丹鍋(ぼたんなべ)」とも言い、猪(しし)は「牡丹に唐獅子」の獅子と音(おん)が同じなので、洒落れたのだろう。関西名物。作者も関西の人。土鍋で芹や大根と煮て、白味噌で味つけする。眼目は「おさへつけ」だ。火に「かける」のではなく、炎を「おさへつけ」て、土鍋を置く。ずしりと重い土鍋の重量感を示しているのと同時に、「ゐのしし」のそれも表現している。加えて「さあ、食べるぞ」というご馳走を前にした気合いも……。こういう句を読むと、やたらに食欲がそそられる。食べ物の句は、かくあるべし。といっても、私は関西が長かったにもかかわらず、「ゐのしし鍋」を食した記憶がない。同じ関西名物の鱧(はも)すらも、東京に出てきてからはじめて食べたくらいで、きっと学生には高価すぎたのだろう。当時(1960年代)の冬は、もっぱら「土手焼き」だった。元来は土鍋に味噌を塗って魚などを煮るのだが、土鍋の代わりにステンレス製の四角い大鍋で出す店が京都・三条通り近くにあり、よく通った。周囲の味噌がほどよく焦げて良い香りとなり、汁と溶け合った味の深さは、まことに美味である。冬が来るたびに「ああ、もう一度食べたいな」と思う。きっと探せばあるのだろうが、上京以来、見かけたこともないのは残念だ。『紅葉の賀』(1956)所収。(清水哲男)


December 13122000

 業の鳥罠を巡るや村時雨

                           小林一茶

こここに「罠」が仕掛けられていることは、十二分に承知している。しかし、わかりつつも、吸い寄せられるように「罠を巡る」のが「業」というもの。巡っているうちに、いつか必ず罠にかかるのだ。大昔のインド宗教の言った「因果」のなせるところで、なまじの小賢しい知恵などでは、どうにもならない。なるようにしかならぬ。折りからの「時雨」が、侘びしくも「業」の果てを告げているようではないか。前書に「盗人おのが古郷に隠れ縛られしに」とある。したがって、この「鳥」は悪事を重ねた盗人に重ねられている。逃亡先に事欠いて、顔見知りのいる「古郷に隠れ」るなどは愚の骨頂だが、それが「業」なのだ。現代でも、郷里にたちまわって「縛られ」る者は、いくらでもいる。作句のときの一茶は「古郷」に舞い戻っており、わずか四百日の命で逝った娘のサトをあきらめきれずに、悲嘆のどん底にあった。だから、掲句では盗人が「鳥」というよりも、本当はおのれが「業の鳥」なのだ。おのれの「業」の深さが可愛いサトの命を奪い、因果で自分も「業」に沈むことになった。そういうことを、言っている。だが、このような後段の事情を知らなくても、掲句は十分に理解できるだろう。また「業」という考え方に共鳴できなくても、句が発するただならぬ気配に、ひとりでに吸い寄せられてしまう読者も多いだろう。一茶にも、このような句があった。(清水哲男)




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