伊豆長岡(鳥栄さん、感謝)から沼津経由で帰宅。沼津では深海魚「ごそ」の煮付けを御馳走になった。




2000ソスN11ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 27112000

 団交の静寂だん炉のよく燃えて

                           鈴木精一郎

寂に「しじま」の振り仮名。戦後も間もなくの句である。寒い季節の「団交(団体交渉)」だ。「春闘」かもしれないが、春の季語に「春闘」はあるので、ここは冬のボーナス闘争と読んでおきたい。作者は山形在住の八十歳、このときは炭坑に勤めていた。敗戦後、この種の組合運動は全国に燎原の火のように広がったが、都会の大企業ならばともかく、土地っ子が地元の会社に就職しての「団交」は難しかったろう。相手が社長だ専務だといっても、子供のころから顔なじみのおじさんだったりしたからだ。なかには、親戚の人までがいたりする。なかなか「闘争」と叫んで、拳を振り上げる心境にはなれない。しかし、かといって何も言わなければ、出るものも出ないわけで、ここらあたりが組合幹部の辛いところであった。受けて立つ会社側にしても、事はほぼ似たようなもの。「団交」とはいいながら、しばしば気まずい沈黙のときが訪れる。手詰まり状態のなかで活気があるのは、燃え盛る「だん炉」の火のみだ。「よく燃え」ている「だん炉」の火の音までが、聞こえてくるような佳句である。句集のあとがきによれば、この炭坑山も1965年(昭和四十年)に閉山になったという。「みんな仲間だ、炭掘る仲間」と歌って団結していた三池炭鉱労働者のみなさんも、いまや散り散りに……。労働組合のありようも形骸化の一途をたどりつつあるようで、すっかり気が抜けてしまった。『青』(2000)所収。(清水哲男)


November 26112000

 黄落や或る悲しみの受話器置く

                           平畑静塔

落(こうらく)は、イチョウやケヤキなどの木の葉が黄色に染まって落ちること。対するに、「紅葉かつ散る」という長い秋の季語がある。こちらは、紅葉したままの木の葉が落ちることだ。「照紅葉且つ散る岩根みづきけり」(西島麦南)。掲句のポイントは「或る悲しみ」の「或る」だろう。「或る」と口ごもっているのだから、「悲しみ」の中身は、たとえば肉親や親しい人の訃報のように、作者の胸に直接ひびいたものではあるまい。受話器の向こうの人の「悲しみ」なのだ。それを、向こうの人は作者に訴えてきたのだと思う。内容は、聞くほどに切なくなるもので、同情はするのだが、さりとてどのようにも力にはなってあげられそうもないもどかしさ。折しも、窓外の黄落はしきりである。聞いているうちに、降り注ぐ黄色い光りのなかに立っているような哀切で抽象的な感覚に襲われ、その気分のままに受話器を置いた。置いてもなお、気持ちはしばらく現実に戻らない。ここで多分、作者は「ほおっ」と大きなため息をついただろう。黄葉であれ紅葉であれ、木の葉のしきりに散る様子は人を酔わせるところがある。「或る悲しみ」の「或る」は、そんな気分に照応していて、よく利いている。『新俳句歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 25112000

 妖村正二尺四寸雪催

                           稲島帚木

正(むらまさ)の作った刀を、実際に見たことはない。妖刀と言われるだけあって、チャンバラ映画や小説ではお馴染の刀だ。なぜ妖刀なのかは、『広辞苑』にゆずる。「(村正は)室町時代の刀工。美濃系と見られる。伝説多く、鎌倉の正宗に師事したが破門され、伊勢国桑名郡で刀剣を製作したという。徳川家康の祖父清康がこの刀で殺害され、また、嫡子信康がこの刀で介錯されたなどの伝えから、その作は徳川幕府の禁忌にあい、妖刀視された。同名が数人ある[広辞苑第五版]」。付け加えれば、家康も村正で手に傷を負ったという伝説がある。友人の父親が刀剣のコレクターで、学生時代に何振かを見せてもらった。「(刀身に)息を吹きかけるな」にはまいったが、正座してそろそろと抜き眼前に構えると、不思議な気持ちになる。殺人の意識が伴うせいか、息詰まるような緊張感がわいてくるのだ。そのうちに、刀身の輝きに吸い込まれるような感覚も生まれてくる。作者のように妖刀と承知して眺めれば、なおさらだろう。ましてや、表はどんよりとした雪催(ゆきもよい)で、何かドラマでもはじまりそうな雰囲気である。雪が来る前は、どういうわけか血が騒ぐ。さて「妖村正二尺四寸」、いかなる嵐を呼ぶか血を呼ぶか……。漢字だけの作意も、この気持ちにはぴったりだ。実感の強さが、よく出ている。ちなみに、囲碁にも「村正」という定石があって、少しでも対応を間違えると危ないところから名づけられたらしい。「俳句研究年鑑」(1995)所載。(清水哲男)




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