バスに乗ったら米大統領選に使うようなカードを渡された。現金乗車か定期券かなどの調査用だってさ。




2000ソスN11ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 23112000

 戸隠の天へつらなる凍豆腐

                           佐川広治

豆腐(しみどうふ)は、関西あたりでは「高野(こうや)豆腐」と言う。その昔は、高野山で僧侶が作っていたからだ。我が故郷の山口県でも、そう呼んでいた。いまでは、戸隠(とがくし)のある長野県が産地として有名らしい。零下の気温が必要なので、寒い地方でないと作れない。戸隠では見たことがないけれど、花巻だったか遠野だったか、岩手を旅した折りに生産現場を見たことがある。小さな積木状の豆腐を何層もの竿にかけ、高く天日で乾かす様子は、なるほど「天へつらなる」感じがする。それに、戸隠といえば、天手力男命が投げた天岩戸が落ちた場所だと言い伝えのある土地だ。戸隠山は、天岩戸が変化してできた山なのだとも……。したがって、地元の人の「天」への意識も強いのだろう。ここで「戸隠」は単なる地名ではなく、そういうことも含んでいるのだと思う。「すぐそこに戸隠尖り秋の天」(篠辺楠葉)。高校時代、甘辛く煮た「凍豆腐」を、母はよく弁当のおかずに入れてくれた。欠点は汁がしみ出てご飯を侵食するところだが、まあ、食べ盛りだから、そんなに気にもならなかったけれど……。昼前の二時間目くらいまでで弁当は食べてしまい(授業中に食べたこともあったっけ。センセイ、ごめんなさい)、本当の昼食時には、もっぱら食堂で一杯18円だった「かけうどん」を食べていた。私が高校生だったのは、1953年(昭和28年)からの三年間です。『合本俳句歳時記第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


November 22112000

 化けさうな傘かす寺のしぐれかな

                           与謝蕪村

り合いの寺を訪ねたのだろう。辞去しようとすると、折りからの「しぐれ」である。で、傘を借りて帰ることになったが、これがなんとも時代物で、夜中ともなれば「化けさうな」破れ傘だった。この傘一本から、読者は小さな荒れ寺を想起し、蕪村の苦笑を感得するのだ。相手が寺だから、なるほど「化けさうな」の比喩も利いている。「化けさうな傘」を仕方なくさして「しぐれ」のなかを戻る蕪村の姿には、滑稽味もある。言われてみると、たしかに傘には表情がありますね。私の場合、新品以外では、自分の傘に意識することはないけれど、たまに借りると、表情とか雰囲気の違いを意識させられる。女物は無論だが、男物でも、他人の傘にはちょっと緊張感が生まれる。さして歩いている間中、自分のどこかが普段の自分とは違っているような……。「不倶戴天」と言ったりする。傘も一つの立派な「天」なので、他人の天を安直に戴(いただ)いているように感じるからなのかもしれない。ところで「しぐれ(時雨)」の定義。初冬の長雨と誤用する人が案外多いので書いておくと、元来はさっと降ってさっと上がる雨を言った。夏の夕立のように、移動する雨のことだ。曽良が芭蕉の郷里・伊賀で詠んだ句に「なつかしや奈良の隣の一時雨」とあるが、この「一時雨(ひとしぐれ)」という感覚の雨が本意である。蕪村もきっと戻る途中で雨が止み、「化けさうな」傘をたたんでほっとしたにちがいない。(清水哲男)


November 21112000

 着膨れて児に唱合はす三十路はや

                           木附沢麦青

う、こんなトシになったのか。ときどき、そう感じることがあり、愕然とすることもある。きっかけは、人さまざまだろう。作者の「児」は、まだ幼い。口もよくまわらぬままに、歌いはじめた。そこで父親である作者は、できるだけ子供の歌いぶりをそこねないようにしながら、「唱」を「合は」せている。「咲いた、咲いた」が「タイタ、タイタ」なら、やはり「タイタ、タイタ」と合わせるのだ。父と子の関係だけで言えば、何でもない日常の一齣でしかない。が、ここでふと作者が気づいたのは、寒さに「着膨れ(きぶくれ)て」いる自分の姿だった。そこに、それこそ愕然としている。若いころには、こんな寒さなんぞへっちゃらだったのに……。そういえばと思いが沈んで、すなわち「三十路はや」との感慨を得たわけだ。何を言ってるんだい、まだ若いじゃないか。三十路を過ぎた人たちなら、たいがいそう思うだろう。つられて、私も言いたくなる。が、冷静にこの年代に対すれば、現代の三十代は生活の激変する年代に当たっている。否応なく世の中と向き合わねばならないし、そのための対応処置の量たるや、未経験であるがゆえに大変なものがある。漠然とにもせよ、「着膨れ」の作者はそういうことにも思いがいたって、素直に「三十路はや」とつぶやいたのである。同時に、ここでこうして幼子につきあっている自分は、つい昨日まで想像もしていなかった自分だということもある。つい昨日までの若き日が、なんだか夢まぼろしのようにすら思えてくる……。その意味からしても「三十路はや」は、決して大げさな表現ではないだろう。角川俳句賞「陸奥の冬」(1966年度)より。(清水哲男)




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